小咄
 深成の少し前に控えた清五郎が、咳払いをしてお小姓を見た。

「ちょっと、外してくれぬか」

「なりませぬ」

 これでは里下がりの意味がないと、お小姓を遠ざけようとしてみたが、やはり突っぱねられる。
 大奥内で、あきにでも呼び出して貰ったほうが良かったか、とも思うが、そうした場合、どこに目があるかわからない。

 あらぬ疑いをかけられたら厄介だ。
 ただでさえ、深成は狙われているのだから。

 下手に話も出来ないため、沈黙だけが流れる。
 どうしたもんか、と清五郎が困っていると、にわかに表が騒がしくなった。
 馬のいななきが聞こえる。

「何だ?」

 清五郎が腰を浮かせ、お小姓が深成を守るように、少し前に出る。
 捨吉が、様子を見に行こうと立ち上がりかけたとき、どかどかと荒々しい足音が、回廊を歩いてきた。
 回廊の先を見た捨吉の目が見開かれる。

「うっ上様!!」

 叫ぶなり、がばっとその場にまた平伏する。
 供も連れずに現れたのは、真砂だった。

 お小姓二人は腰を抜かさんばかりにへたり込み、慌てて平伏する。
 清五郎も頭を下げ、だが訝しげに辺りを見回した。

「上様。まさか、お一人で?」

 真砂の後から誰かが入ってくるような気配はない。
 真砂自身も少し息が上がっているということは、相当馬を飛ばしてきたのだろう。
 真砂が本気で馬を駆れば、そうそうついて来られる者などいない。

 真砂は驚いた顔の深成を見、次いでその前に平伏しているお小姓に目を落とした。

「さがれ」

 お小姓に命じる。
 いつもに増して低い声に、びびくん! とお小姓の肩が震えたが、お役目大事とばかりに声を張る。

「でっですがっ!」

「聞こえなかったか?」

 一気に氷点下まで部屋の温度が下がったような声音に、お小姓二人は慌ててさがっていった。

 真砂はそのまま、ずかずかと深成に近づくと、乱暴に彼女を引っ張り、引き寄せた。
 どん、と深成は、真砂の胸に飛び込む。

「お前たちも、しばらくさがっていろ」

 深成を抱いたまま、真砂が清五郎と捨吉に言う。
 すぐに、清五郎は頭を下げ、捨吉を促して部屋を出た。

 二人だけになると、真砂はようやく少しだけ身体を離した。
 そして、袂から何か取り出す。

「ほら。お前のだろう」

 真砂が差し出したのは、うさぎのぬいぐるみ。
 大奥で隠されてしまった、深成の宝物だ。

「ありがとうございます」

 うさぎを受け取り、ぎゅ、と抱き締める。
 うさぎが戻っても、元気は戻らない。
 真砂はようやく腰を落ち着け、深成の前に胡坐をかいた。

「千代とゆいが、えらく派手に喧嘩をしたもんで、何事かと思ったら、これを巡ってのことだったようだな」

「え?」

 顔を上げた深成をじっと見、真砂は廊下に向かって、手を鳴らした。
 すぐに捨吉が飛んでくる。

「捨吉。何か、消化の良い物を用意出来るか?」

「え、は、はい」

「俺はいいから、粥でも作って、こいつに食わせてやれ」

 疑問符の浮いた顔のまま、捨吉がちらりと深成を見、目を見張る。
 ようやく妹の憔悴っぷりに気付いたようだ。
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