小咄
「あ、ありがとう。千代が来てくれなかったら、戻れなかったよぅ」

 千代の後ろを歩きながら、深成が言う。
 そういえば、千代は何をしにわざわざ二課へ来たのだろう。

 まさか、深成を助けるためではあるまい。
 深成がゆいに絡まれていたことなど、知る由もないのだから。

「ところで千代。何か用事があったの?」

「ああ。真砂課長から電話があったんだよ。先に捨吉と話すことがあるって仰るから、その間にあんたを呼びに行ったんだけど。ま、行って正解だったね。ゆいは絡むとしつこいから」

「え、課長から?」

「そ。生憎電話に出たのは私じゃなくて、あきだけどね」

 憮然と言う。

「じゃあ普通あきちゃんが呼びに来てくれるんじゃ……」

「初めはあきが行ったんだよ。つか、あいつったら、何か二課の入り口で二の足踏んでるからさ。真砂課長のお言いつけだってのに、何をぐずぐずしてるんだと思って見に行ったら、あんたがゆいに絡まれてたわけ。あきはゆいと仲良しだけど、ああなったゆいには近づきたくないんだろうよ」

 それでさっさと千代が代わりに来てくれたわけだ。
 何だかんだで、面倒見のいい千代なのであった。
 真砂が待っている、というのが大きいのだろうが。

「あ、お帰り深成ちゃん。ゆいちゃん、大丈夫だった?」

 席に帰ると、あきが話しかけてきた。

「ごめんね。すぐに呼びに行こうと思ったんだけど、ゆいちゃん、機嫌損ねたらややこしいからさぁ。あたし、千代姐さんみたいに上手くいなせないし」

「ううん。……確かにちょっと、あれは酷いよね」

 思い出すと、しゅんとしてしまう。
 真砂や捨吉も、深成をお子様だと言うし、千代も先程そう言った。

 だがそれらの皆は、そんな嫌な意味では言わない。
 真砂ですら、馬鹿にしたような口振りではあるが、先のゆいのように芯からの悪意で言ったりしない。

 そもそも何で初めて会ったような人に、一方的にあんなことを言われなければならないのだろう。
 鬱々としていると、捨吉が受話器を置いて深成を見た。

「深成。一番に課長だよ」

「あ、はい」

 答え、ボタンを押して受話器を取る。

「もしもし」

『どうした』

 いきなり会話が成り立っていない。
 課長らしくもない、熱が高いのかな、などと思いながら、深成は首を傾げた。

「何が? 用事があるのは課長でしょ?」

 束の間の沈黙。

『……声が暗い』

 ややあってから聞こえた低い声に、深成は少し驚いた。
 「もしもし」の一言だけで、いつもと違うと気付いたらしい。

「……ちょっと……。隣の課の人に、苛められて」

『隣? 清五郎のところか』

「うん。あのままだったら、清五郎課長がキレてたかも。そうなると、ちょっと大事(おおごと)になっちゃってた。折よく千代が助けてくれたけど」

『ふぅん。……まぁあいつは頭がいいから、どんな場面でも上手く収められるだろ』

 それから少しの間、仕事に関する指示を受けた。

「わかった。じゃあとりあえず今週中に、言われた資料を作っておけばいいんだね。あとはあんちゃんから指示される奴と……。うん、わかんなかったら千代に聞く。ていうか課長。病気なのに、何お仕事してるの」

『大したことはしてない。でもさすがにちょっと疲れてきた。……ああ、後は俺の引き出しに入ってる決裁資料を、千代に渡しておいてくれ』

 ちらりと深成は時計を見た。
 深成の前に捨吉とも喋っているし、多分電話を取ったあきにも何らかの指示を出している。

 結構な時間が経ったせいで、自分でも言っていたように、疲れているのが声でわかる。
 休みが今日からだから、おそらく今が一番熱が高いときなのではないか。
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