小咄
「わかった。……課長、大丈夫?」

『ああ。頼んだぞ』

「あのっ」

 とっとと電話を切ろうとする空気に、深成は思わず叫んだ。
 が、慌てて口を噤む。

『……何だ』

 怪訝な声が届く。

「……あ、う、ううん。あの、お大事にね」

『ああ』

 ぶつ、と通話が切れる。
 そろそろと、深成は受話器を戻した。

 思わず、お家に行こうか? と口走りそうになった。
 いくら何でも、今この電話ではまずいだろう。
 周りに皆いるのだ。

 危なかった、と息をつき、ふと顔を上げると、あきがじーっと見ている。

「な、何?」

「ううん。ね、課長、どんな感じだった?」

 心なしか声を潜めて、あきが言う。

「どんなって。ちょっとしんどそうだったかな。ていうか、あきちゃんも話したんでしょ?」

「そんなことじゃなくて、ほら、お見舞いとかさ。来て欲しそうだった?」

「ええ?」

 今しがた、思いっきりそういうことを考えていたので、深成はあからさまに狼狽えた。
 でかい声が出てしまったところを、すかさずあきに遮られる。

「しーっ。千代姐さんにバレたら恐ろしいわよ」

 むぐぐ、と口を押えられつつ、ちろりと深成は千代を見た。
 あきも千代を窺ってから手を離し、身体を寄せる。

「あ、あきちゃん、凄いこと言うし。大体課長がそんなこと、言うわけないじゃん」

 動揺を悟られないよう、深成はキーボードを叩く。
 が、不自然に速い。
 あきはもう一度千代を見てから、さらに声を潜めた。

「普段ならね。でも今は弱ってるもの。高熱のときに一人って、寂しいと思うな~」

「そそそ、それこそ課長には似合わないよ。大体わらわ、あんまり千代に隠れてこそこそしたくないし」

 かちゃかちゃかちゃと、キーボードの上を深成の手がひたすら動く。
 あり得ないスピードだ。
 動揺させればさせるだけ、深成の仕事ははかどるかもしれない。

「まぁね。あたしも千代姐さんのことは好きだし。でも、隠れてこそこそってのは、仕方ない部分もあるのよ。だって、同じ課内で上司と部下が大っぴらにいちゃいちゃするわけにもいかないでしょ? 社内恋愛が社内に内緒っていうのは当たり前のことよ。仕事する上でも、他の人に迷惑がかかるもの」

 正論である。
 別に千代にだけ隠しているわけではないのだ。
 というより、その前に。

「納得だけど、それ以前にあきちゃん、誤解してるよ。わらわと課長、別に社内恋愛してるわけじゃないし」

 多分、と心の中で継ぎ足す。
 深成にも、実はよくわからないのだ。

---そりゃ、何度かお泊りしたこともあるし、それっぽいことは言われてきたけど。んでもだからと言って、課長の態度が変わるわけでもなし。会社では、全然普通だもん。お泊りっても、何もないし……---

 それはお前の態度のせいだ、と突っ込まれそうなところだが、深成に自覚はない。
 う~ん、と考えて、ふと視線を上げると、目尻を思いっきり下げたあきの視線とぶつかる。

「ふふ。そう? ま、いいわ。あたしは深成ちゃんが一番課長と親しいだろうから言っただけ。ま、深成ちゃんを採用したのも課長だものね」

 それだけ言って、あきは身体を戻して仕事を再開した。



 昼休み、深成はトイレで携帯を睨んでいた。
 お見舞いに行こうか。
 確かに高熱を出しているなら、ご飯を作るのも辛いだろう。

---べ、別に特別構えなくたって、あきちゃんもあんちゃんのお見舞いに行ったって言うしっ---

 面白いほどあきの口車に乗せられ、深成は意を決すると、メールを打った。

<調子はどうですか? お見舞いに行きましょうか?>

 相変わらず、メールだと固い。
 ちょっと考えたが、しんどいときに長々した文章を送っても迷惑だろう。

 えいっと送信ボタンを押し、歯磨きに取り掛かる。
 あんまりどきどきしていたくないから、出来ればとっとと返信して欲しいな、と思っていると、すぐに携帯が振動した。
 慌ててうがいをし、受信メールを見る。

<伝染るぞ>

 一言かよ、と思ったが、面倒臭がりの真砂がメールで返してきた辺り、喋るのも辛いほどしんどいのだろうか、と心配になる。
 それに。

---これって、来たら伝染るよっていうことだけど、だから来るな、とは言ってないよね? それでもいいならおいでってこと?---

 どちらの意味にも取れそうだが、真砂の性格から考えると、来て欲しくないなら直球で『来るな』と言いそうだ。

---だよね。課長のことだもの、伝染るから来るなってんだったら、『伝染る』じゃなくて、ただ『結構だ』とか言いそうだもん---

 よし、と深成は帰りに寄ることに決め、席に戻った。
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