小咄
「苛められたって?」
深成から茶碗を受け取り、真砂が聞く。
あんまり告げ口めいたことはしたくないなぁ、と思うが、簡単にバレてしまったし、そういえば電話の時点でちらりと言ってしまっている。
仕方なく、深成はこくりと頷いた。
「苛められたというか……。清五郎課長にね、いつも課長に見せてる資料をチェックして貰いに行ったんだけど。そこでさ、何か、女の人に絡まれて。子供は幼稚園に帰りなさいって言われたぐらいなんだけど」
「何だそりゃ」
ははは、と真砂が笑い飛ばす。
「わらわもさ、それぐらいだったら、課長みたいに軽く流せるんだけど、ちょっとしつこくて。冗談ぽくじゃなくて、本気で馬鹿にされたら、いくらわらわでも、ちょっと悲しくなっちゃって」
深成からすると、初対面の知らない人から、いきなり馬鹿にされたのだ。
真砂や捨吉のように親しい者から子供扱いされるのとはわけが違う。
子供扱いされた、ということよりも、初対面のゆいの態度にショックを受けた。
考えてみれば、深成はゆいとは一言も喋っていないのだ。
なのに何故、ゆいは深成をあれほど敵視するのか。
捨吉とのことなど知らない深成には、その理由がさっぱりわからない。
しょぼぼん、と沈む深成をしばらく眺めていた真砂は、食べ終わった茶碗を置くと、ひょいと手を伸ばした。
くしゃくしゃと、深成の頭を撫でる。
「二課の女はよく知らんけど、まぁお前が二課に行くのは、清五郎に用事があるときだけだろ。清五郎の近くにいれば、何かあっても何とかしてくれる。どうしても嫌だったら、来週まで置いておいてもいいぞ。復帰してから、俺がやる」
思わぬ優しい言葉に、ちょっと目を見張って深成は真砂を見た。
同時に頭に置かれた手のぬくもりに、心の中のもやもやが溶けて行く。
「う、うん。そうだね。大丈夫、課長も病み上がりで大変だろうし、持越しはしないようにする。わらわもちょっとは千代を見習わないと」
「千代?」
「うん。あのね、わらわが絡まれてさ、帰るに帰れなくて困ってるときに千代が来てくれてさ。課長からの電話を知らせに来てくれたみたいなんだけど、別にそれを言わないまでも、上手くわらわを救ってくれてね。ついでに女の人に、ぴしゃりと反撃もしてくれてさ。格好良かったんだよ」
「ま、あいつは見た目で得をしてる部分もあろうがな」
何てことのないように言う真砂を、深成はじっと見た。
ということは、真砂も千代の外見の良さは認めているわけだ。
その千代にあれほど好かれているのに、何故真砂は千代には興味を持たないのだろう。
「ねぇ課長。千代って美人だし、頭もいいよね。今日二課の人たちなんて、千代が来た途端に、皆ころっと態度が変わったんだよ」
「あいつはそれを見越して、ちゃんと己の行動を計算してるからな」
「課長はさ、千代には興味はないの?」
「ないね」
早! と呆れるほど即答だ。
それが深成には不思議である。
ちょっと性格がキツく、気分屋な部分はあるが、さっぱりしているし正義感もある。
仕事も出来て美人な千代は、まさに完璧美女ではないのだろうか。
人それぞれ好みはあろうが、真砂のように、いかにも全く興味ありません、という人は珍しいのではないか?
言い寄られたら悪い気はしないと思うのだが、好意を寄せる千代に、真砂は一切反応しない。
「課長の趣味ってわかんないな」
お皿を片付けながら、ぼそ、と言うと、真砂が病院の袋から薬を出しながら、ちろ、と深成を見た。
「俺は美人な奴より、可愛い奴のほうが好きなのさ」
くるりと深成が振り向く。
水くれ、と言われ、慌てて深成はコップに入れた水を真砂に渡した。
「そういえば清五郎課長が、わらわのこと、真砂が可愛がってるって言ってた」
いまいち真砂の言うことがわからず、深成はわざと、そういう意味か、という風に言ってみた。
真砂は薬を飲みながら、僅かに目を細める。
否定も肯定もしないのは、真砂がよく使う手だ。
でも、と深成は、ジャーッと水を流しつつ、スポンジを泡立てながら心の中で鼻息荒く頷いた。
---課長が否定も肯定もしない場合ってのは、肯定の意味だもんねっ---
これまでの付き合いで、大分わかってきた。
だが、ふと考える。
---って、おい! 駄目じゃんっ!!---
今回に限っては、否定であって欲しい。
清五郎の言う『可愛がる』は、決して本気の意味ではない。
意味合い的には捨吉の深成に対する態度だし、その上冗談で言ったに違いない。
清五郎からしても、真砂が誰かを特別可愛がるなんてこと、あるわけないと思っているに違いないのだ。
---そこは課長! そういう意味じゃないって、きっぱり否定してよ!---
むきーっと感情のままに、ぶくぶくと泡立つ流し台で洗い物をしていると、薬を飲んだ真砂が立ち上がった。
コップを、とん、と深成の横に置く。
「お前のような、育て甲斐のあるお子様のほうがいいって言うのかね」
にやり、と笑って、ダイニングから出て行く真砂を、深成はぽかんと眺めた。
---えーっと。……今課長、思いっきり『お前のような』て言ったよね。てことは、わらわのほうが好きだって言ったってことだよね---
ここまで言っておいて、何でもっとはっきりとわかりやすく言ってくれないんだーっと心の中で叫び、相変わらずぶくぶくと泡立つ流し台で、深成はせっせと残りの洗い物を片付けた。
深成から茶碗を受け取り、真砂が聞く。
あんまり告げ口めいたことはしたくないなぁ、と思うが、簡単にバレてしまったし、そういえば電話の時点でちらりと言ってしまっている。
仕方なく、深成はこくりと頷いた。
「苛められたというか……。清五郎課長にね、いつも課長に見せてる資料をチェックして貰いに行ったんだけど。そこでさ、何か、女の人に絡まれて。子供は幼稚園に帰りなさいって言われたぐらいなんだけど」
「何だそりゃ」
ははは、と真砂が笑い飛ばす。
「わらわもさ、それぐらいだったら、課長みたいに軽く流せるんだけど、ちょっとしつこくて。冗談ぽくじゃなくて、本気で馬鹿にされたら、いくらわらわでも、ちょっと悲しくなっちゃって」
深成からすると、初対面の知らない人から、いきなり馬鹿にされたのだ。
真砂や捨吉のように親しい者から子供扱いされるのとはわけが違う。
子供扱いされた、ということよりも、初対面のゆいの態度にショックを受けた。
考えてみれば、深成はゆいとは一言も喋っていないのだ。
なのに何故、ゆいは深成をあれほど敵視するのか。
捨吉とのことなど知らない深成には、その理由がさっぱりわからない。
しょぼぼん、と沈む深成をしばらく眺めていた真砂は、食べ終わった茶碗を置くと、ひょいと手を伸ばした。
くしゃくしゃと、深成の頭を撫でる。
「二課の女はよく知らんけど、まぁお前が二課に行くのは、清五郎に用事があるときだけだろ。清五郎の近くにいれば、何かあっても何とかしてくれる。どうしても嫌だったら、来週まで置いておいてもいいぞ。復帰してから、俺がやる」
思わぬ優しい言葉に、ちょっと目を見張って深成は真砂を見た。
同時に頭に置かれた手のぬくもりに、心の中のもやもやが溶けて行く。
「う、うん。そうだね。大丈夫、課長も病み上がりで大変だろうし、持越しはしないようにする。わらわもちょっとは千代を見習わないと」
「千代?」
「うん。あのね、わらわが絡まれてさ、帰るに帰れなくて困ってるときに千代が来てくれてさ。課長からの電話を知らせに来てくれたみたいなんだけど、別にそれを言わないまでも、上手くわらわを救ってくれてね。ついでに女の人に、ぴしゃりと反撃もしてくれてさ。格好良かったんだよ」
「ま、あいつは見た目で得をしてる部分もあろうがな」
何てことのないように言う真砂を、深成はじっと見た。
ということは、真砂も千代の外見の良さは認めているわけだ。
その千代にあれほど好かれているのに、何故真砂は千代には興味を持たないのだろう。
「ねぇ課長。千代って美人だし、頭もいいよね。今日二課の人たちなんて、千代が来た途端に、皆ころっと態度が変わったんだよ」
「あいつはそれを見越して、ちゃんと己の行動を計算してるからな」
「課長はさ、千代には興味はないの?」
「ないね」
早! と呆れるほど即答だ。
それが深成には不思議である。
ちょっと性格がキツく、気分屋な部分はあるが、さっぱりしているし正義感もある。
仕事も出来て美人な千代は、まさに完璧美女ではないのだろうか。
人それぞれ好みはあろうが、真砂のように、いかにも全く興味ありません、という人は珍しいのではないか?
言い寄られたら悪い気はしないと思うのだが、好意を寄せる千代に、真砂は一切反応しない。
「課長の趣味ってわかんないな」
お皿を片付けながら、ぼそ、と言うと、真砂が病院の袋から薬を出しながら、ちろ、と深成を見た。
「俺は美人な奴より、可愛い奴のほうが好きなのさ」
くるりと深成が振り向く。
水くれ、と言われ、慌てて深成はコップに入れた水を真砂に渡した。
「そういえば清五郎課長が、わらわのこと、真砂が可愛がってるって言ってた」
いまいち真砂の言うことがわからず、深成はわざと、そういう意味か、という風に言ってみた。
真砂は薬を飲みながら、僅かに目を細める。
否定も肯定もしないのは、真砂がよく使う手だ。
でも、と深成は、ジャーッと水を流しつつ、スポンジを泡立てながら心の中で鼻息荒く頷いた。
---課長が否定も肯定もしない場合ってのは、肯定の意味だもんねっ---
これまでの付き合いで、大分わかってきた。
だが、ふと考える。
---って、おい! 駄目じゃんっ!!---
今回に限っては、否定であって欲しい。
清五郎の言う『可愛がる』は、決して本気の意味ではない。
意味合い的には捨吉の深成に対する態度だし、その上冗談で言ったに違いない。
清五郎からしても、真砂が誰かを特別可愛がるなんてこと、あるわけないと思っているに違いないのだ。
---そこは課長! そういう意味じゃないって、きっぱり否定してよ!---
むきーっと感情のままに、ぶくぶくと泡立つ流し台で洗い物をしていると、薬を飲んだ真砂が立ち上がった。
コップを、とん、と深成の横に置く。
「お前のような、育て甲斐のあるお子様のほうがいいって言うのかね」
にやり、と笑って、ダイニングから出て行く真砂を、深成はぽかんと眺めた。
---えーっと。……今課長、思いっきり『お前のような』て言ったよね。てことは、わらわのほうが好きだって言ったってことだよね---
ここまで言っておいて、何でもっとはっきりとわかりやすく言ってくれないんだーっと心の中で叫び、相変わらずぶくぶくと泡立つ流し台で、深成はせっせと残りの洗い物を片付けた。