小咄
「じゃあ課長。わらわ、帰るね」

 荷物を持ち、声をかけると、真砂が立ち上がった。

「送る」

 そう言って、車のキーを持つ。

「駄目だよ。まだ駄目。大人しくしてないと」

「大丈夫だよ」

「だーーーめっ!!」

 深成が伸び上って、指を突きつける。

「でも、今日はいつもよりも遅いだろ」

「大丈夫! 課長が事故でも起こしたら、そっちのほうが心配だもん」

 じゃあね、と言い、深成は靴を履いた。

「攫われんようにな」

「子供じゃないっつーの」

 何の心配をしてるんだか、と憤慨しつつ、深成は軽く手を振って外に出た。
 そして急いで駅に向かう。

 確かに今日は来るのが遅くなった分、帰るのも遅い。
 時計を見ると、すでに十時を回っている。

---わ、急がなきゃ---

 足早に駅に入ると、結構な人だかり。
 これぐらいの時間は、丁度飲み帰りだ。

 おまけに今日は金曜日。
 人も多い。

 ホームで少し待つと、電車が入ってきた。
 その、深成の乗る車両の隣。
 電車がホームに滑り込み、止まる直前、丁度飲み会帰りのあきのレーダーが反応した。

---あら……。まあっ!---

 電車の中から、ホームで待つ深成を目ざとくキャッチした。
 思わず前のめりになる。

「どうしたの?」

 前に立つ捨吉が、ちょっと驚いて言った。
 あきは座り、その前に捨吉が立っている。
 この状態であきが前のめりになれば、ぐぐっと捨吉に近づくのだ。

「もしかして、気分悪い?」

「あ、ううん。ちょっと眠くなっただけ」

 慌てて顔を上げ、にこりと笑う。
 今日は捨吉は、あまり飲んでいない。
 案の定ゆいに強引に勧められたが、何とかかわしてきたのだ。

 羽月もセーブしていた。
 あきは、実は元々弱くない。

 結果ゆいだけがべろべろになり、捨吉にべたべたしていたが、幸いにして帰る方向は真逆であった。
 羽月もしっかりしていたし、ごねるゆいは同じ方向の羽月に任せたのだ。
 羽月にとっては災難だったが。

「ゆいちゃん、大丈夫かしらねぇ」

 変に周りを見回されて、深成を見つけられたらややこしい、と、あきは捨吉に話しかけた。
 深成は隣の車両に乗り込んだ。

 だが扉一つしか離れていないので、そう遠くない。
 しかも、深成は丁度あきから見える位置に立った。

「まぁ今日は羽月も酔っ払ってないし、大丈夫だと思うよ」

 何も知らない捨吉が、笑顔で応ずる。

「捨吉くんも、セーブ出来るのね」

 結構いつもべろべろになっているので、珍しいと思っていると、捨吉は困ったように笑った。

「俺だって、周りをちゃんと見て飲んでるよ。課長とかと一緒だったらさぁ、安心してしまうんだよね。いや、迷惑かけたくないとも思うんだけど。それに、課長って何飲んでも酔わないじゃん。格好良いなぁ、と思って真似してたら、こっちが潰れてしまうんだよね」

「あはは。そうね、課長が酔っ払ったところなんて、想像つかないわよねぇ」

 真砂は酔うと、結構欲望丸出しになるので引くかもよ、ということは、幸いこの二人は知らない。

「それに、ゆいさんの前では、あんまり酔えない。俺も我が身が可愛いからね」

 しみじみと言う。
 そういえば、前の合コンのときも、捨吉はあまり酔っていなかったような。

「あら。そういえば前のときも、結構飲んでたのに、あんまり酔ってなかったわね。足元はふらついてたけど」

「酔ってないことはなかったけど。でも、身の危険を感じるから、理性が頑張ってくれるんだよ。だからあのときも、すぐにまず、ゆいさんを送ったよ。羽月は俺の家に泊まったけど」

「そうなんだ」

 ほ、と息をついた自分に、あきは少し慌てた。
 あのときは、何となく捨吉を見捨てたとも言える自分なのに。

---ま、まぁあのときは、まだそれほど捨吉くんのこと、意識してなかったものね---

 ゆいが面倒くさかったというのもある。
 とりあえず、あのとき何事もなくて良かった、と改めて思い、安心したところに、大事なことを思い出す。

---そうだ、深成ちゃん---

 俯いて、ちらりと横の車両を見る。
 連結部から見えるところで、深成はぼんやりと外を見ている。

---やっぱり深成ちゃんよね。あんなに急いで帰ったのに、今まだ外にいるってことは、やっぱりどっかに行ってたんだ。別に何を持ってるわけでもないから、買い物じゃないわね。ていうか、さっきの駅って小松町駅……。深成ちゃんの家は、確か九度山駅だから、どっかから帰るところってことね---

 じいぃ、と連結部の扉越しに深成を見る。
 ちょっとだけ、深成が身震いした。

---な、何だろう。何か寒気が。あ、課長の風邪が伝染っちゃったかな?---

 いきなり感じた悪寒に、深成がそんなことを思いつつ、息をつく。
 あきが邪気を振りまきつつ、深成を観察しているうちに、電車はやがて九度山駅についた。

 深成が降りていく。
 あきは注意深く、深成の周りを見た。

---ふむ。深成ちゃんは一人、と。やっぱり今まで誰かといて、そこから帰ってきたところだわね---

 目を細めるあきの視線の先を、深成は足早に歩いて行った。
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