小咄
 微かな物音に目を覚ますと、まだ外は暗いぐらいだ。

「起きたか?」

 不意に聞こえた低い声に視線を下げると、ベッドの足元に真砂が座っている。
 そういえば昨夜、来てくれたんだった、と思い出し、深成は身体を起こそうとした。

「いいから、寝てろ。俺は一旦帰って、シャワー浴びてくる。どうせ病院は九時からだろ? 迎えに来てやるから、それまで寝てろ」

「あ……。シャワーなら、うちで入ってもいいよ」

「いや、着替えもあるし」

 そういえば、昨日はよく見ていなかったが、真砂はワイシャツのままだ。

「課長。昨日、帰ってすぐに来てくれたの?」

 ちょっとだけ、真砂の動きが止まった。
 そして己の姿を見、納得したように、ああ、と呟いた。

「すぐではないが。あきたちがいつまでいるのかもわからんし。だからメールを送っただろ。まぁ、あの時間に帰ったってことだが」

 早口に言い、真砂は、ざっと部屋の中を見回した。

「鍵、借りてもいいか? いちいち開けて貰うのは面倒くさい」

「あ、うん」

 真砂に渡された鞄を探り、深成はくまのマスコットのついた鍵を取り出した。
 ちょっと真砂の目が胡乱になる。

「でかいキーホルダーだな……」

「でも、どこにあるのかわかりやすいから便利だよ」

 はい、と鍵というよりくまを渡し、深成はちらりと真砂を見た。

「わらわん家の鍵もあげたいんだけど、それ一つしかないんだよね……」

 くまのキーホルダーには、深成の家の鍵と、もう一つ。
 真砂の家の鍵がついている。
 真砂は立ち上がりながら、しばし二つの鍵を見つめた。

「でも、ということは、今俺がこれを持って出てしまえば、お前は嫌でも家でじっとしておかないといけないわけだな」

 にやりと笑う。
 確かに鍵が一つしかないのなら、真砂が持って帰ってしまうと、外から施錠出来なくなるので、深成は出かけられない。

 開けっぱで出かけるほど不用心ではないし、それが当り前なほど田舎でもない。
 病院が嫌だからといって、逃げることも出来ないわけだ。

「じゃ、大人しく待ってろよ」

 くしゃくしゃと深成の頭を撫で、真砂が出ていく。
 逃げられないことに若干打ちのめされた深成だったが、頭を撫でられたことによって、そのような不満は、しゅるしゅると溶けていく。

---課長……。ずるい……---

 何となく簡単にあしらわれているように感じ、深成は、ぷぅ、と膨れながらも、頭に残る真砂の手の感触を思い返すのだった。



 そして九時前に再び深成のマンションに行き、病院に嫌がる深成を放り込んでから、真砂は会社に向かった。
 大分昨日よりはマシになっているようだったので、帰りは一人で大丈夫だろう。
 マンションからも徒歩圏内だ。

 十時前に会社につき、PCを立ち上げつつ書類に目を通していると、あきが近づいてきた。

「課長。深成ちゃん、やっぱり今日はお休みです」

「ああ」

 さっきまで一緒にいたので、特に反応せず、真砂は素っ気なく答えた。

「ご飯もちゃんと食べてましたし、すぐに治るかな、と思ってたんですけどねぇ」

 真砂のチェックが終わった書類を受け取りながら言うあきに、真砂はちょっと顔を上げた。

「そんな元気だったのか?」

「ええ。ホワイトソースのオムライスを、ぺろっと平らげましたし」

 ちょっと、真砂が頭を抱える。
 何か? と首を傾げるあきに、いや、と小さく答えた。

「帰る前は、結構酷そうだったからな」

「そういえば、そうですねぇ。あれれ、ほんとに大丈夫なのかしら。今日も様子、見に行ったほうがいいでしょうかね。深成ちゃん、一人ですし」

「どうかなぁ。あんまり毎日行ってもなぁ」

「とりあえず、お昼ぐらいに連絡してみます」

 それだけ言って、あきは席に戻った。

---ふむ。あんまり心配してる風はないけど。でもやっぱり他の人とは、扱いが違うわよねぇ。気になってることは気になってるのかしら? でも深成ちゃんの負担になるようなことは避けたいから、お見舞いも渋るのかしら---

 さすがに今朝、真砂自身が深成を病院に連れて行ったということまでは察知出来ず、あきは頭を悩ませた。

---ま、どっちにしろ今日は忙しいから、多分お見舞いには行けないけど。確かに連日行くのもどうかと思うしね。入院してるわけじゃないんだし。あ、でももし課長が今日、とっとと帰るようだったら、後つけようっと。もしかしたら、今日行くつもりなのかもしれないし---

 ちょっと他の人が聞いたら引く予定を入れ、あきはPCに向かった。
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