小咄
 六時半ごろ、あきがキーボードを叩いていると、千代が会議から戻って来た。

「あ~あ。もぅ、ゆいのお蔭でとんだとばっちりだよ」

 ばさ、と資料を机に置いて、千代がたたた、とPCのロックを解除する。

「あれ。今回の案件、何で二課のなのに千代姐さんが駆り出されるのかと思ったら、ゆいちゃんの尻拭いですか」

「まぁ、元々は私がやってたからね。でもそれも、昔々のことだよ」

 ぷんぷんと言いながらも、千代は手を止めない。
 こういうところが千代の出来るところだ。
 お喋りにかまけて、手が止まるということなどない。

「あいつが提示した資料がさぁ、まぁミスだらけで。あんまり酷かったから、向こうさんが昔のことを引き合いに出したみたい。お蔭でこっちにお鉢が回って来たってわけ」

 どうやら昔千代が担当していた案件をゆいが担当したが、あまりの酷さに先方から千代に指名が来たらしい。
 実はこういうことは珍しくない。

 何といっても千代は美人だ。
 その上仕事も出来るとなれば、クライアントは食いついてくる。

 が、さすがに何もないのに違う課の案件をお願いするわけにもいかないし、千代一人では限界もある。
 なので、大抵は違う者の担当で済むものだが、今回は先方がキレたのだろう。

「でも、さすが千代姐さんです。クライアントがどんなに怒っても、千代姐さんにかかればいちころですもん」

「……ま、今回は先方さんが、私のこと知ってたからってのもあるんだよ」

 誰も好きこのんで怒り心頭のクライアントのところに出向きたくはない。
 しかも自分は関係ないのだ。

「で、解決したんですか?」

「まぁね。結局私が担当することになったけどね」

 千代が口を尖らせていると、二課のほうから清五郎がやって来た。

「お千代さん、すまないな。しばらくこっちに跨って大変だろうが、よろしく頼む」

「ええ。まぁあそこはちょっと難しいですから、ゆいには重荷でしたでしょうね。清五郎課長がフォローしてくださるし、わたくしも出来るだけ協力しますわ」

 にっこりと艶やかに微笑む。
 大抵の男はこの笑みに魂を抜かれるのだが、清五郎はいつもの爽やかな笑みで受け止める。
 そんな二人を、あきは目を細めて観察した。

---おおおお。やっぱり絵になる二人だわぁ。この千代姐さんの色気に惑わされないなんて、清五郎課長と真砂課長ぐらいなもんよね。それにしても、千代姐さんがゆいちゃんの案件を担当するってことは、清五郎課長と行動を共にすることも多くなるってことよね。わお、これはこれで、何か面白い匂いがするわ---

 犬のように、ひくひくと鼻を動かす。
 あきのレーダーは標的が近くにいれば、匂いまで感じるのか。

「この案件が一段落したら、飯でもご馳走させて頂くよ」

「本当ですか? わたくし、行きたいお店があるんです」

 にこりと笑う千代に、あきは、おや、と思った。

「それなら話は早い。お千代さんのためなら、どんな高いところでも構わないぜ」

「まぁ、嬉しい。楽しみですわ」

 おほほほ、と笑い、ぺこりと頭を下げる千代に軽く手を挙げ、清五郎が去っていく。
 あきは清五郎の背中を見送り、次いで、ちらりと千代を見た。

---今の会話……。お互い社交辞令じゃないわね。ていうか、千代姐さんも意外と積極的じゃなかった? あそこまで具体的に言ったら、行きたいアピールしてるようなもんよね。清五郎課長も、多分本気でご馳走するつもりだろうし---

 あららぁ? とあきの口角が不気味に上がる。

---てことは、千代姐さんは清五郎課長に乗り換えたってことかしら? いや、多分真砂課長への想いは変わってないわ。でも見込みないし、と思ったのかしら? ん? もしかして、千代姐さんも真砂課長と深成ちゃんの関係に気付いた?---

 千代のことだ、真砂と深成の関係に気付いたとしても、深成に対して冷たくなったりしないだろう。
 千代の想いは、完全なる片想いなのだ。

 それがわかっているため、真砂が他の女と付き合ったって、文句を言う権利などない、ということは理解しているのだ。
 そこはあっさりとしている。

 嫉妬で嫌がらせをするようなことは、己の美意識が許さないだろう。
 元々真砂は憧れであり、手に入るとは思っていなかったのかもしれない。

「千代姐さん。最近やけに清五郎課長と仲良しですねぇ。あんまり清五郎課長と仲良くしてると、もしかすると真砂課長がやきもち焼くかもですよ?」

 そんなことはまずあり得ないが、あきは何気に探りを入れてみた。
 が、千代は変な顔をする。

「そんなこと、あるわけないだろ。何言ってんのさ」

 あっさりと言う。

「私が清五郎課長と組むのは、別に初めてじゃないし。まぁ真砂課長がそう思ってくれれば嬉しいけどねぇ。残念ながら、それはないわ。真砂課長は、人に興味がないもの」

 ふふふ、と笑いながら、千代がキーボードを叩く。
 ふむ、とあきも、PCに向き直った。

 どうやら千代は、深成のことまでは知らないようだ。
 そして自分も真砂の興味の対象には入っていないということもわかっている。

「そうかもしれませんねぇ。でも清五郎課長は誰に対しても気安いから、いまいちよくわからないです。二人とも、なかなか謎ですよねぇ」

「そう? まぁ……本心の見えにくいお人ではあるかもねぇ。私は真砂課長は、そうでもないと思うけど」

「あれ、千代姐さんは真砂課長の考えってわかるんですか」

「ある程度は。……最近はさぁ、課長は深成を気にしてるよね」

 おおおお!! と、あきは危うく叫びそうになった。
 会社にいる間だけで、千代は真砂の気持ちに感づいていたらしい。

「えっ! それって、真砂課長は深成ちゃんのこと、好いてるってことですか?」

 ずい、と身を乗り出し、あきはきらきらと目を輝かせた。
 あまりの食いつき様に、若干千代が引き気味になる。

「好いてると思うよ。目が違うもの。まるで初めて動物園に行った子供みたいな目で深成を見てるだろ?」

 ぽかん、とあきが阿呆面を曝す。

「わかんない? そうだねぇ、初めて動物園で子パンダを見た子供って、可愛い~って思うだろ? で、子パンダの一挙一動に目をきらきらさせて食い入る。そんな感じ」

 どういう例えなんだか。
 あきは首を傾げ、言われた状況を真砂と深成に置き換えてみた。

「つまり、可愛い深成ちゃんの行動が、真砂課長には堪らない、と」

 こういうと、何だか危ない人のようだが。
 千代も笑って、ぶんぶんと手を振った。

「そこまでではないけどねぇ。ちょっと、今までとは違うだろ、深成って。課長にも特に物怖じすることなく話すし。そういう新鮮さが面白いんじゃないかな。私やあんたよりも、随分子供ぽい可愛さだし」

「なるほどぉ。課長って何気にロリコンだったんですねぇ」

「だから私に対しても、何の反応もしないわけ」

 あははは、と二人して笑い合う。
 あきと千代の間では、真砂はロリコン認定されてしまったようだ。
 深成も一応れっきとした社会人なのだし、決して子供ではないはずなのだが。
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