小咄
 聞き覚えのある電子音に、深成はうっすら目を開けた。
 枕の横に置いていた携帯が、賑やかな光を放ちながら騒いでいる。
 ぼんやりしたまま、機械的にロックを外した。

「……もしも~し」

 半分寝ながら電話に出ると、しばしの間があり、低い声が返って来た。

『……寝てたのか』

 ぱち、と深成の目が開く。

「課長っ」

 がば、と起き上がり、携帯を耳に押し付ける。
 反射的に嬉しそうな声を出してしまったが、当の本人は気付いていない。

 が、明らかに一番初めの声とは変わったので、真砂は気付いたらしい。
 ごほん、と一つ咳払いが聞こえた。

『調子はどうだ? 熱は下がったか?』

「あ、えっと。熱はわかんないけど、でもインフルだって」

『まぁ……俺から伝染ったんだったら、そうだろうな』

 その伝染った過程を思い出し、ちょっと深成は赤くなった。

『ところで。ちょっと寄っても大丈夫そうか?』

「え?」

 慌てて深成は顔を上げた。
 こんな夜中にまたわざわざ来てくれるのかと、時計を確かめる。

「あ、あれ? まだ十時前なの?」

 寝ていたので、もっと経っているかと思っていたが、どうやら小一時間ぐらいしか寝ていないようだ。

「もっと真夜中かと思ってた」

『そんな夜中に電話はせんだろ』

「そっか。でも課長、来てくれるのは嬉しいけど、あんまり無理しないで。会社からわらわの家までって、結構あるし」

『無理はしてない。つか、一応もう着いてるし』

 ちょっと後半の声が小さくなる。
 照れているようだ。

 え、と深成は玄関に走った。
 鍵を開けようとすると、その音が伝わったのか、ちょっと真砂が慌てた。

『い、いや、着いてるって、家の前ではないぞ。昨日の、コインパーキングの前』

 さすがにいきなり家の前ではないようだ。
 なぁんだ、と息を付き、深成はドアにもたれかかった。

「んと、じゃあ鍵……開けておくね」

『ああ。すぐ行く』

 ぷつ、と切れた携帯を見つめ、深成は鍵を開けると、そのまますぐ前にしゃがみ込んだ。
 着る毛布を着ているので、寒くはない。
 じ、とドアを見つめながら、どきどきと耳を澄ます。

---そういや、これがうっかり嫌いな人とかだったら、同じこと言われても困るよなぁ。いきなり家の前にいられたら、ストーカーじゃんっ。あれ、もしかして課長、気を遣ってわざわざちょっと離れたところから連絡してきたのかな?---

 真砂だったら、ドアを開けたらそこに立っててくれたら嬉しいのに、と思い、一人で赤くなっていると、微かに足音が聞こえた。
 がば、と顔を上げ、ドアに飛びつく。

 ぺたりとドアに貼り付き、廊下の音が近づいてきたところで、そろ、と開けた。
 歩いて来ていた真砂が、ちょっと驚いたように深成を見、小走りに駆け寄って来た。

「何だ。まさか外で待ってたんじゃないだろうな」

「違うよ。ちゃんと中にいた。来てくれるって言うから、玄関で待ってたんだもん」

「寝てていいって」

 部屋に上がりながら、真砂が深成の額に手を当てる。

「まだ熱いな。今日は食欲はどうだ?」

 ひょい、と軽々深成を抱き上げ、ベッドに連れて行く。
 雰囲気だけなら十分甘やかなのに、如何せん真砂が抱いているのは、もこもこのくまである。
 残念感が否めない。

「食欲はあるの。でも昨日吐いちゃったから、ちょっと怖くて。お粥にしてる」

「まぁ、いきなりホワイトソースなんか食わなきゃ、吐くこともなかっただろうけどな」

「昨日あきちゃんがプリン買ってきてくれたから、それも食べた」

「……結構なことだ」

 ちょっと呆れたように、真砂が言う。
 そして、きょろ、と部屋の中を見回した。

「体温計は?」

「あ、あるよ」

 枕元に置いていた体温計は、いつの間にやらぬいぐるみに埋もれている。
 それを探し出し、深成は腋に挟んだ。

「そういえば課長、明日から出張なの?」

「ああ。今日具体的な打ち合わせがあった。明日の午後からだな」

「あきちゃんが言ってた。北海道なんでしょ? 社長のお供だって」

「マサグループの社長と秘書と、何か食べ歩きみたいな感じだったな」

 うわぁ、と深成はきらきらと目を輝かせたが、真砂は渋い顔をした。

「向こうの秘書が地元とかで、いろいろ案内してくれるようだが、何を食わされるんだか……」

「いいじゃん~。地元ガイド付きのお勧めグルメ食べ歩きなんて、羨ましい~」
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