小咄
 一方向かいの部屋に深成を連れて行った千代は、とりあえず畳に深成を寝かすと、押し入れを開けて、言われた通りタオルケットと座布団を取り出した。

「深成。ちょっと頭上げて」

 座布団を二つに折り、枕にしてタオルケットをかける。
 きゅ、と深成が、千代のスカートを握った。

「置いて帰ったりしないから。ちゃんと、課長も向こうにいるよ」

 よしよしと深成の頭を撫でて言う千代に、深成は薄目を開けた。

「千代は? 今日はここに泊まるの?」

「え……」

「千代はさぁ、清五郎課長のことが好き?」

 薄目のまま、深成が呟くように言う。

「何だい、いきなり」

「だって千代、今日先にここに来てたでしょ。わらわ、一人だったら真砂課長のところぐらいしか行かないよ」

 ぴく、と千代の手が止まった。
 深成の半目は徐々に閉じられていって、この言葉も自分の意思なんだか夢の中なんだかわからないが。

「深成は、真砂課長のことが好きなのかい?」

 問うてみると、深成は僅かに首を動かした。

「うん。わらわは、課長が好き」

「そっか……」

 再び千代は、撫で撫でと深成の頭を撫でた。
 すでに深成はくーすかと寝息を立てている。

「……そっか……」

 もう一度呟き、千代はしばらく、深成の寝顔を眺めていた。



 そうこうしているうちに、時計は夜の十一時を指した。

「さてお前ら。そろそろ帰れよ」

 べろんべろんで捨吉に抱き付いているゆいに歩み寄り、清五郎が言う。

「え~~、やぁだぁ~~。ゆい、もう歩けなぁ~い」

 捨吉に抱き付いたまま、ゆいがぶるんぶるんと上体を揺らす。
 捨吉のほうは、最早ゆいを引き離すことも諦めたようで、項垂れたまま大人しくしている。

「う~ん、まぁこいつをこのまま外に出すのは、上司として止めたほうがいいような気もするが。捨吉が可哀想だよなぁ」

 呟き、渋い顔で捨吉に迫るゆいを眺める。
 そうは言うものの、この状態のゆいを宥めすかすのも面倒だ。

「もう放っておくかな。泊まるなら泊まればいいか。真砂はどうする?」

「俺はともかく、あいつはどうなんだ?」

 真砂が深成の様子を見ようと腰を浮かせたとき、ゆいが、がばっと顔を上げた。

「あ、そうだ~。清五郎課長~、泊めてくれるんですよね~。じゃ、あっちのお部屋借りていいですかぁ~?」

 深成が寝に行ったのを見ていたようだ。
 言いながら立ち上がり、捨吉を引き摺って部屋を移動する。

「ちょ、ちょっとゆいさん……」

 珍しくさっぱり酔っている感じのない捨吉が、慌てて逃れようとするが、恰幅の良いゆいは思いのほか力があるようで、哀れ捨吉はずるずるとゆいに連れられ、ドナドナ状態に。
 清五郎たちが呆気に取られている間に、向かいの部屋の襖をすぱーんと開けたゆいは、捨吉を突き飛ばすように中に入れると、ダイブするようにその上に襲い掛かった。

 だがそこには先客が。

「うにゃんっ!」

 捨吉の下敷きになって目覚めた深成が、驚いて暴れる。

「痛いよぅ~」

「あ、み、深成っ。ごめんね、大丈夫?」

 慌てて捨吉が深成の上からのいて覗き込むが、その態度がゆいの癇に障る。
 ずいっと深成に身を寄せると、ゆいは深成の胸ぐらを掴んだ。

「なぁによ、あんたぁ~。邪魔しないでくれる?」

 崩れた化粧は壮絶だ。
 元々が濃過ぎたせいで、一旦崩れるとお化けのようになる。
 そんな顔を暗がりで間近に寄せられ、深成は半泣きで震えあがった。

「さっさと出て行ってよね~っ!!」

 言うなり、ゆいは深成を思い切り廊下のほうへ突き飛ばした。
 小さい深成は、ゆいの怪力に簡単に吹っ飛ばされる。

「きゃうんっ!」

 どたーっと廊下に倒れ込んだ深成の足先で、ぴしゃんと襖が閉められる。
 思い切り打ったお尻を撫でながら、深成がしくしくと泣いていると、元の部屋から千代が出てきた。

「どうしたんだい。凄い音がしたけど」

「ち、千代ぉ~」

 ぼろぼろと涙を流して縋り付く深成をあやしながら、千代はちらりと閉められた襖を見た。

「全く、あいつは……」

 小さく言い、よしよしと深成を撫でて落ち着かせると、千代はさっと立ち上がった。
 そして、すらっと襖を開ける。
 暗い部屋の中で、ゆいが捨吉に覆い被さり、ぶっちゅ~と口を吸っていた。

 キス、という表現ではない。
 まさしく『口を吸う』というのが正しい勢いで、捨吉を貪っている。
 まるで魂を抜かれているように、捨吉は青ざめ、ぐったりしていた。

「見てられないよ。みっともないったら……」

 呟くや、千代はしゅっと手刀をゆいのうなじに打ち込んだ。
 がくりとゆいの身体が崩れ、下にいた捨吉を押し潰す。
 ゆいの身体から力が抜けたのを察し、捨吉は慌ててゆいを跳ね除けた。

「ち、千代姐さん……」

 先の深成のように涙目で、捨吉が千代を見上げる。

「災難だねぇ、あんたも」

 苦笑いしつつ、千代は畳に転がるゆいに、ばさ、と深成が使っていたタオルケットをかけると、廊下に出る。
 慌てて捨吉も後を追った。

 元の部屋に戻ると、深成はてててっと真砂に駆け寄った。

「課長~~」

 泣きながら引っ付いてくる深成に、ちょっと真砂が周りを見たが、深成は気にせず真砂の胸に貼り付いて、えぐえぐと泣きじゃくる。

「どうしたんだ? あ、ゆいに叩き出されたのか?」

 さすが上司だけあり、ゆいのやりそうなことはわかっているようだ。
 清五郎が言って、顔を上げる。
 そして、あれ? というように、千代の後ろからふらふらと入って来た捨吉を見た。

「捨吉? おや? ゆいは?」

「ゆいはややこしいので、眠らせましたわ」

 すとん、と清五郎の横に座り、おほほほ、と千代が高笑いした。
 捨吉はのろのろと元の場所に座り、何かぐったりと疲れたように項垂れている。

「さすがだな。やっぱりお千代さんには敵わない」

「わたくし、見苦しいものは嫌いですもの」

 ほほほ、と言う千代は、まさしく完璧美女だ。
 格好良いわぁ、と羨望の眼差しを向けていたあきは、ちら、と目を横の捨吉に向けた。

 ゆいに捨吉が拉致されたときは、さすがに心が波立った。
 だがどうしていいのかわからず、悶々としていたのだが、千代が救ってくれたようだ。
 この短時間では、特に何事にもならなかったはずだ。

 が。
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