小咄
「もー、深成ちゃん。そんな怖がらなくても」

 大会議室で問診票を提出し、促された長椅子で、あきは隣でふるふる震える深成に言った。
 目の前は採血のブースだ。

「大丈夫だって。去年の先生だったら上手だから、痛くないよ」

「う、そ、そうかなぁ」

 青い顔で、きょろきょろと周りを見る。
 挙動不審な深成は、もう何を言っても耳に入らないのではないか。

「は~い、じゃ、お次の方、どうぞ~」

 パーテーションの向こうから、軽い声がする。
 あきが、ちら、と深成を見、立ち上がった。

「深成ちゃん、先に行く?」

「むむむ、無~理~」

 高速で首を左右に振る。

「でもどうせ、いつかはしないといけないよ?」

「いいいい、いいからっ。あきちゃんお先にどうぞっ」

「じゃ、行ってくるね」

 あきがパーテーションをくぐると、白衣の医師が、にこりと笑った。

「いらっしゃ~い。ふ~ん、A型ね」

「献血じゃないんだから、血液型は関係ないですよね」

「あ、まぁね~。でもさ、僕は献血センターの人だからね~。ま、癖だね~」

 相変わらず軽い。
 この調子であらゆる女子社員を引っ掛けているのだろうか、と思い、あきは身を固くした。

「そんな固くならないで。大丈夫だって。何なら直で吸おうか?」

「結構です」

 言っている意味がわからず、あきは、腕まくりした腕を、ずいっと突き出した。
 ちょっと医師が、不満そうに口を尖らす。

「折角若い女の子がいっぱいなのに~。味気ないなぁ」

「セクハラですよ」

「あっそうくる? 心外だなぁ~」

 ぶつぶつ言いながらも、医師は無事あきから血を抜き取った。

「はい、終わり。次の方~」

 医師が言った途端、パーテーションの向こうで、がたーん! と音がした。
 ん? と医師が立ち上がり、ブースから顔を出す。

「深成ちゃん、大丈夫?」

 そこには椅子から転げ落ちた深成が蹲っていた。
 緊張が呼ばれた途端にピークに達し、足が上手く立たなかったらしい。
 どんだけ恐怖なんだか。

「さ、深成ちゃんの番だよ」

「うう~……」

 あきに手を引かれ、涙目の深成が医師を見る。
 おお、と医師の顔が輝いた。

「君は! 確か去年も理想的な反応をしてくれた子だね!」

 満面の笑みで言い、ぱっと両腕を広げる。

「大丈夫だよ! さぁおいで!!」

「いや~あぁぁぁ」

 泣き叫ぶ深成をがばっと抱き上げ、医師はうきうきとパーテーションの向こうに消える。
 あきはその場に突っ立ったまま、ちょっと目尻を下げた。

---あら、ちょっと面白い。真砂課長はまだかしら? 早く来て頂戴~~---

 うふうふ、とほくそ笑みながら、あきはこっそりパーテーションに身を寄せた。



 さてその頃真砂は、営業会議の真っ最中。
 が、落ち着かない。

「上半期の計画は達成できそうか。そういえば、前に提案していた企画はどうなってますか? 一課だったな」

 営業部長が真砂に言う。
 しん、と沈黙が落ちた。
 しばらく経って、ん? と部長が答えを促すように、再度真砂を見る。

「あ、はい。あの件でしたら四年目の捨吉が中心となって進めております。今のところトラブルもなく、順調のようですので、決算までには上がるでしょう」

「そうか。二課のほうのトラブルは収まりそうか?」

 珍しくぼんやりしていた真砂を少し訝しそうに見た後、部長は二課の清五郎に話を振った。

「そうですねぇ。いつまでも尻拭いをしていたら育ちませんが。まぁお客様に迷惑がかからないうちには、何とかしますよ」

 清五郎の答えに頷き、部長は話をまとめて最も上座に座るミラ子社長に報告した。
 うん、と頷き、ミラ子社長は持っていた扇子をぱちりと鳴らす。

「ご苦労やったね。聞いた限りでは今期も大丈夫やな。ほんま、うちの営業部は優秀で助かるわ」

 満足そうに皆を見渡し、最後に真砂に目を止める。

「そういえば、今日は健康診断やな。おや、午前中は一課やないか。はぁ、さすがに真砂課長も朝食抜きやったら頭が回らんか」

 ほほほほ、と笑う。
 どこかぼんやりしている真砂は、糖分不足と理解されたらしい。

 その真砂は社長の軽口も耳に入らない様子で、ちらちらと腕時計に目を落としている。
 こそっと清五郎が、真砂の足を小突いた。

「あ? ああ、いえ、そういうわけでは……」

「まぁええわ。早くせんと血糖値が下がり過ぎて、ぶっ倒れるかもしれんし。ま、そうなっても社長室で看病したるから安心しぃ」

 おほほほ、と高笑いする。
 真砂がそんなヤワなわけはないが、とりあえず皆黙ったまま、営業会議は閉幕となった。
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