小咄
「どーしたの、深成ちゃん」

 次の日の朝、真っ赤な目に瞼の腫れ上がった深成を見、開口一番あきが驚いた声を出した。

「遅くまで勉強してたの? 何か顔もむくんで酷い有り様だよ~?」

「うん……。瞼が重くて目が見えない」

「テスト中に寝ちゃったら駄目だよ? 大丈夫?」

「眠いわけじゃないから……」

 昨夜はずっと泣いていたので、全く眠くないわけではないが、寝なかったわけではない。
 いつの間にか泣き疲れて眠っていた。
 だから顔がえらいことになっているのだ。

「ま、折角真砂先輩に勉強見て貰ったんだもんね。頑張らないとね」

 チャイムが鳴り、席につきながら、あきが言う。
 こく、と頷き、だが深成は、はぁ、とため息をついた。

 夢のような放課後のひと時は、最悪の終わり方をしてしまった。
 思い出すと、またじわ、と涙が浮かびそうになり、深成はぶんぶんと頭を振ってテストに集中することにした。



 そして実力テストから一週間後。
 結果が発表された。

 職員室前に貼り出された順位をあきと見に行った深成は、いつものように一位のところに真砂の名を見つけた。
 だが。

「あら? 何か今回、真砂先輩、ぎりぎりね」

 名前の下の総合点数を見、あきが言った。
 いつもは二位と、凄い点差をつけてのぶっちぎり一位なのだ。

 なのに今回は、二位との差はほんの十点程度。
 何とか一位に踏み止まったという感じだ。

 ずき、と深成の胸が痛んだ。
 やはり、深成の勉強を見ていたのが悪かったのではないか?

「あ! 深成ちゃん! 凄いよ、二十五位だ!」

 不意にかけられた言葉に、深成は目を戻した。
 あきが指差すところに、深成の名がある。

「う~ん、やっぱり真砂先輩の指導の賜物よねぇ。さすがだわ」

 全校生徒の実力テストでは、二人とも今まで五十位に入れるかどうかだったのだ。
 感心したように言うあきに、深成は複雑な顔を向けた。

「でも……。先輩の邪魔しちゃってるし」

 教室に帰りながら、しょんぼりと言う。

「え~、でも一位は一位よ。それに、自分が教えた深成ちゃんが、結果を出したんだから。先輩だって嬉しいはずよ」

「そうかな……。……うん、そだね」

 最悪の別れ方をしたものの、一応真砂の努力を無駄にはしなかったのだ。
 それだけでも良かった。
 真砂もこの結果を見ただろう。

---うん、これでいいや。先輩、ありがとうね---

 心の中でケリを付け、深成とあきは鞄を持って教室を出た。

「テストも終わったし、後はお休みね~」

 言いながら校舎を出た二人は、ふと前方の人影に気付いた。
 目ざとくそれが誰かを見分け、且つそこにいる理由を敏感に嗅ぎ取ったあきが、傍らの深成を見た。

「深成ちゃん。あたし、先に帰るね!」

「えっ……」

 深成が、明らかに狼狽える。
 校門にもたれて佇んでいるのは真砂である。
 誰かを待っているように、いつものように肩にリュックを引っ掛け、両手をポッケに突っ込んでいる。
 真砂は深成を見ると、もたれていた身体を起こした。

「ああああああきちゃんっ」

「何狼狽えてるのよ。思いっきり先輩、こっち向いてるし。深成ちゃんを待ってたに決まってるでしょ」

「あきちゃんかもしれないじゃん!」

「なわけないでしょ」

 深成の無駄な抵抗をばっさりと斬り、あきは、じゃあね、と手を挙げて、足早に帰って行く。
 その後ろ姿を、深成は立ち止まったまま呆然と見送った。

 前方には真砂がいる。
 帰るには校門をくぐらねばならない。
 真砂の横をすり抜けなければならないわけだ。

---な、何で……。もうわらわに用はないはずなのに---

 別れ際の喧嘩のことや、真砂の点数のことを考えると、悪いことしか浮かばない。
 足が竦んでしまい、その場に棒立ちになる深成に、真砂がゆっくりと近づいた。
 深成のすぐ前で立ち止まる。

「……頑張ったな」

 しばらくしてから、真砂が口を開いた。
 深成は俯いたまま、こく、と頷いた。

「ありがとうございました」

 しん、と沈黙が落ちる。
 真砂の靴を見ながら、深成は、このまま立ち去っていいものか悩んでいた。

---用事は済んだよね。ていうか、これ言うためだけに待ってたの? どっちにしろ、前に進まないと帰れない---

 お礼も言ったし、と思い、そのまま顔を上げずに足を踏み出す。
 深成が真砂の横をすり抜けようとしたとき、ぼそ、と再び真砂が口を開いた。

「悪かったな」

 思わぬ言葉に、深成の足が止まる。
 え、と振り向くと、真砂は深成の顔を見、すぐに目を逸らせた。

「言い過ぎた。泣かすつもりはなかったんだが、お前に言われたら腹が立って」

「あ、あの。わらわこそ、生意気なこと言ってごめんなさい」

 まさか真砂が謝るとは思っていなかった。
 深成の言ったことだって、真砂の言う通り、さして真砂のことを知りもしないのに言ったようなものなのだ。
 こうあって欲しい、という理想を押し付けたようなものである。

 だが真砂は、小さく首を振った。

「図星だったんだ。俺は人に興味がない。だから付き合ったって、そいつのことなんかどうでも良かった。そいつが俺のことを好いている、とわかるだけで、俺の何が変わるわけでもない。だが相手は変化を求める。それが煩わしい」

「……でも……それは、何となくわかってました。先輩が、人に興味がないっていうのは。だからこそ、先輩がわらわにお勉強教えてくれるって言ってくれたときは、夢かと思った。周りの人なんかいないかのような先輩が、わらわの存在を認識してくれたって」

 だからこそ、あんな別れ方をしたのは悲しかった。
 どさくさに紛れて告白したが、その後すぐに、嫌いだ、と叫んでしまった。
 真砂には真砂の考えがあったのだし、それを今、教えて貰ったところで遅いのだ。
< 356 / 497 >

この作品をシェア

pagetop