小咄
「あそこが宿だよ」

 絶景の渓谷から少し車を走らせ、清五郎が少し先に見える旅館を指差した。
 小さいが、なかなか立派なお宿のようだ。

「今回は二部屋。ま、和室だしな。男女で分かれることになるな」

 車を駐車場に止め、清五郎がロビーに入る。
 部屋は二階の二間。

「とりあえずは一旦休憩。あ、まず皆、風呂に行くか?」

「そうですわね。折角の温泉ですし。食事は下の食堂ですし、六時過ぎにロビーにいるようにしましょう」

 千代が言い、皆一旦部屋に入った。



「うひょー。絶景かな絶景かな~」

 露天風呂で、深成が本日何度目かの歓声を上げる。
 内風呂の外側には大きな露天風呂があり、そこからは真っ赤に染め上げられた山々が見渡せるのだ。

「お風呂に葉っぱが浮いてるのもいいね~」

 きゃっきゃきゃっきゃとはしゃぐ深成を、あきはまじまじ見つめる。
 が、今日は特に気になる点はない。

---まぁね。深成ちゃんは真砂課長と付き合ってるから、まぁいいわ。どこまで進んでるかは……ちょっと気になるけど。でもあの課長がかなり深成ちゃんには溺れてるみたいだから、そうそう我慢も出来ないんじゃない? とすると、あらあらあら---

 ふふふふふふ、と不気味に笑い、あきは視線を千代に転じた。
 わからないのはこちらである。

---う~~ん……。でも清五郎課長は、そんな痕が残るようなことするかなぁ~---

「ところであき。あんた、捨吉と付き合ってんだろ? なのに全然変わらないね」

 ヤバい思考にどっぷり浸かっていたあきに、不意に千代が声を掛けた。
 いきなりなことだったので、何のことやらわからず、きょとんとしてしまう。

「会社ではともかくさ、こういう、プライベートな遊びでも、いつもと全然変わらない。上手く行ってる?」

「え、えっと。別に上手く行ってないことはないですけど……。でもそんな、傍から見ての変化ってあるものですか?」

 どぎまぎしつつ聞いてみると、千代は少し意味ありげに目を細めた。

「まぁ……人によるだろうけどねぇ。でも私は結構わかるほうなんだけど。深成もほら、何か綺麗になったと思うし、何より真砂課長の態度が……」

「えっ、わらわ、綺麗になった?」

 超絶美人な千代から綺麗だと言われ、深成は嬉しそうにざばざばと湯を掻き分けて寄ってくる。

「綺麗というより、まだ可愛いっていうほうがいいかね。でも愛されホルモンが出てるんじゃない?」

「そんなのあるんだ」

 感心したように、ふむふむと頷く深成は、その相手には全く意識が向いていないようだ。

「んでも千代は元々綺麗だから、そういうのわかんないな。結局清五郎課長は、千代に告白したの?」

 天然故、ずばんと直球で聞く。
 おおっ! とあきが身を乗り出した。

「告白っていうか……。まぁ、うん、そうだねぇ……」

 千代にしては珍しく、少し照れ臭そうに言う。
 へぇ~! と深成が、でかい声を上げた。

「清五郎課長は、何だかそういうこともさらっと言いそう。ちゃんと付き合ってくださいって言った? いつもみたいな調子で言われたら、わらわだったら何かもやもやするなぁ」

 う~ん、と腕組みして首を傾げる。

「でも、いい歳になったら、そんなはっきり言わないよ」

「それがやだ。はっきりしてくれないと、こっちの立場がわかんないもの」

「じゃ、あんたは真砂課長に付き合ってくださいって言われたの?」

 訝しそうに、千代が言う。
 あの真砂が、そんなことを言うとも思えない。
 あきは、わくわくと深成を凝視した。

「言ってくれない。でも言って貰った」

「「ええええっ」」

 千代とあきの言葉が重なる。
 二人とも、心底驚いた表情だ。

 そこで、あれ、と深成は口を押えた。

「ん? これって言っちゃっていいことかな?」

 今更ながら、バラしたことに焦りだす。
 が、千代は呆れた目を向けた。

「何、もしかしてバレてないとでも思ってた? 真砂課長が深成を好きなのなんて、とうの昔に気付いてたよ。あんたが絡むと、課長、冷静さがなくなるし」

 くくく、と笑いながら言う。

「そうですねぇ。ほら、前にうちに来てた、高山建設の六郎さん? あの人がいたときなんて、もうめっちゃ面白かったですよねぇ」

 あきも思い出しながら笑う。
 何が面白かったのだろう、と一人不思議に思いながらきょとんとしている深成に、千代はずいっと顔を寄せた。

「で? 言って貰ったってどういうことだい?」

「え、えーと……。あの、元々課長には優しくして貰ってたけどさ、それがどういうつもりなのかわかんなくて。あ、でね、そうそう、その六郎さんが言うにはね、そういうの、ちゃんと言わないのは遊ばれてるんだよって。だから課長に聞いたの」

「へぇ? 六郎さんが、そういう風に持って行ってくれたんだ?」

 意外そうに、千代が言う。
 深成の言い方では、あまり悪い印象には聞こえなかったのだろう。

「ねね、深成ちゃん。何て聞いたの?」

 あきが目を爛々と輝かせて身を乗り出す。

「えーっと……。わらわのこと、好いてくれてる? だったかなぁ」

「そこは『好き?』でいいんじゃない?」

 にまにまにま、と思い切り目尻を下げながら聞くあきに、千代が若干引いた。

「いや、何か確認事項みたいな感じで聞いたな。好いてくれてるよね? て」

「あんたも好かれてる自信はあったんだね」

「自信っていうか……。嫌われてはない、とは思ってたけど。課長、態度は優しいけど、言葉はそういうこと全然言ってくれないしさ。やっぱりちゃんと言ってくれないと不安」

「まぁねぇ。それはわかるわ。でもあの課長が優しいっていうだけで、相当なもんなんだけどね」

 ずっと真砂を見て来た千代からすると、なおさらだろう。
 つくづく羨ましそうに言う。

「でもそういうことも、深成だから聞けるんだよね」

「千代は聞けない?」

「ちょっと恥ずかしいよ。でも清五郎課長は、私が以前に、はっきり言われたら嬉しいって言ったの知ってるからね」

 ということは、はっきり言ったということか、と、あきのにまにまは止まらない。
 ふと気付けば、大分時間が経っていた。

「そろそろ出ないと、夕飯に間に合わないよ」

「ええ、そこのところ、もっと聞きたいのに」

 ざば、と湯から出る千代に、あきが不満そうな声を上げる。
 が、千代は振り向くと、にやりと笑った。

「そうだね。あんたの話を全然聞いてないものね」

 う、とあきが怯んだ隙に、脱衣所へと出る。
 その後を、夕飯、という言葉に惹かれた深成が続く。

---とはいえ、残念ながらあたし、そんな食いつくようなエピソード持ってないわ---

 ひそりと心の中で思い、あきも温泉を後にした。
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