小咄
 その頃、深成は昨日と同じように、カフェバーのカウンターで、片桐が作ってくれたパスタをがっついていた。

「美味しい。片桐さん、お料理上手だねぇ」

「でないと店なんてできないわよ」

 言いながら、片桐はグラスを取りながら、何飲む? と聞く。

---そういえば、一番初めに真砂のお家にお邪魔したとき、似たようなことがあったな。あのとき、真砂もパスタを作ってくれて……---

「子兎ちゃん?」

 知らず真砂のことを考えていた深成は、片桐の言葉に我に返った。

「あ、何?」

「飲み物。……オレンジジュースは好き?」

 何か含んだ言い方にも気付かず、深成はこくりと頷いた。
 そして、ちらりとテーブルの上に置いていた携帯を見る。

 お知らせランプも特についていない。
 真砂の前で、片桐のことを言ったのに、何の反応もないわけだ。
 そう思うと、目の奥が、つん、と痛くなる。

---ていうか、わらわ、真砂のことばっかり考えすぎ。真砂なんて、今日もどうせあの人と会ってるんだろうし……。わらわが誰と会ってようが、もう真砂には関係ないじゃんっ!---

 考えれば考えるほど、どうしても悲しくなる。
 ぶんぶん、と頭を振って頭の中から真砂を追い出そうとするが、目からは涙がこぼれてしまう。

「もぅ。まだ悲しんでるの? そんな男のこと、忘れちゃいな」

 片桐が身を乗り出し、深成にグラスを勧めた。

「あたしが忘れさせてあげるわよ。今日はずっと一緒にいてあげる」

 泣きながら、深成はグラスに口を付けた。
 オレンジの爽やかな香りが、口に広がる。

「オレンジジュース……」

「スクリュードライバー。美味しいでしょ?」

 片桐の目が細められる。
 甘く口当たりのいいカクテルを、深成はごくりと飲んだ。

「子兎ちゃん、明日、デートしようね。いっぱい遊んで、嫌なこと忘れさせてあげるから」

「本当?」

「もちろん。だから、もうねんねしなさい」

「うん、じゃあ帰る……」

 くる、とカウンター席を回した途端、深成の身体がぐらりと揺れる。
 落ちそうになった深成を、片桐が素早く支えた。

「あらあら。子兎ちゃん、お酒に弱いのねぇ。……普通は足にくるんだけだけど」

 ふふふ、と笑いながら、片桐は軽々深成を抱き上げた。
 ちなみに店は、深成が気付かないうちにcloseの札が出ている。

「片桐さん……? あれ、わらわ……」

「心配しないでも大丈夫。あたしがずっと一緒にいてあげるって言ったでしょ」

 片桐に抱き上げられたまま、ぼんやりと深成は彼を見上げた。
 溜まった涙越しのゆらゆらとした視界に映る人影が、優しく笑う。

「真砂……」

 ぽつりと深成の口からこぼれた言葉は、流れ落ちた涙と一緒に、闇に溶けていった。



 ちら、と真砂は腕時計を見た。
 十一時。

 微妙な時間だな、と思いながら、ドアを開ける。
 しん、と静まり返った家の中は真っ暗だ。

 靴を脱ぎながら、真砂はどきっとした。
 深成の靴がない。
 足早に廊下を歩き、手前の寝室を開けても無人。

「深成」

 名を呼びながらリビングに入っても、返事はおろか姿もなし。

---いや、まだ十一時だ。飲みに行くみたいなこと言ってたし……---

 そうは思うが、自分でも情けないほど動揺しているのがわかる。
 会社を出る前の、深成の言葉が蘇る。
 誰か、他の男のことを、やたらと褒めていた。
 そいつに会いに行く、とか言っていなかったか。

 本当はあのときも、かなり動揺した。
 あんなこと、深成の口から初めて聞いた。

 だが深成が他の男に興味を持ったというのなら、おそらくその原因は自分にあるのもわかっている。
 ここ最近の自分の態度で、深成が悲しそうにしているのはわかっていた。
 そこに優しい男が現れたのなら、そちらに行ってしまっても文句は言えないだろう。

「……くそっ」

 どさ、とソファに身体を落とし、真砂は乱暴に前髪を乱した。
 初めから、ちゃんと話しておけばよかったか。
 だがそれはそれで、深成の不安を取り去ることはできないはずだ。

 だったら秘密にしたままのほうが良かろうと思ったのだが、どうしても深成に隠し事をする、ということが後ろめたく、それがモロに態度に出てしまった。

 ちら、と携帯を見てみても、着信もメールもなし。
 はぁ、とため息と共に携帯を投げだし、真砂は力なくソファに寝転がった。

 ミラ子社長は、真砂のところは大丈夫だと言う。
 どこが大丈夫なんだか、と思いながら、忸怩たる思いで、真砂はそのまま目を閉じた。
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