小咄
「不思議な子だったねぇ~」
真砂が帰って来てから二人でご飯を食べつつ、深成が言う。
「そうだな。奴自身は特に何もしてないのに、何かやたらと引っ掻き回されたような気がする」
「周りが騒ぎすぎたんだね」
「奴の契約期間を延ばして欲しいって、清五郎のところに要請があったらしいぞ」
「ええ? 他の部署から?」
渋い顔で、真砂が頷く。
実際雇っている部署がきちんと短期で、と決めているのに、全く関係のない部署から私情での契約更新などあり得ない。
「まぁまた忙しくなったら、声をかけることもあるかもしれんがな」
「真砂のところに入るかも?」
「それはないな」
きっぱりと言う真砂に、深成はきょとんとした。
「俺にはお前がいるし」
ちょっと照れ臭く思ったが、これは『一課には深成がいる』という意味なのだろう、と解釈し、深成は夕飯の唐揚げを口に入れた。
が。
「結婚するときは、お前と入れ替わりでもいいかな」
ビールを飲みながらさらっと言われたことに、飲み込み途中だった唐揚げを詰まらせてしまう。
「けほっ! けほんっ! ちょ、真砂、何言って……」
どんどんと胸を叩いている深成を、真砂は妙な顔で見た。
「前から言ってるだろ。さすがに同じ課のまま結婚するわけにはいかんし。あいつだったら一から教えんでいいから楽ちんだ」
「そそ、それはそうかもだけど~。そ、それ以前に、惟道くんは大学生なんだから、その頃には就職しちゃってるかもしれないじゃん」
「……そんな先延ばしにする気もないがな」
惟道はまだ二年生だということだったので、あと二年あるわけだ。
真砂は二年も待たないらしい。
何となく恥ずかしく、視線を彷徨わせていた深成だが、ふと気が付いた。
結婚したところで、何か変わるだろうか。
「そか、別に結婚したからって、何も変わらないね」
一緒に住んでいるし、この家に不満はないし十分広い。
新居とか、おそらく必要ないだろう。
「毎日真砂にお弁当作ってあげられるってぐらいだよね」
にこ、と笑いかけると、真砂はちょっと邪悪な笑みを浮かべた。
「……まぁ……大きく変わるものが一つあるがな……」
「へ?」
きょとんとする深成をそのままに、真砂はビールを飲みほした。
さてその頃、惟道が身を寄せている安倍家では。
「じゃあ惟道、かなり気に入られてたんだねぇ」
章親が嬉しそうに言う。
その横で、姉の魔﨡がTVを見つつ鼻を鳴らした。
「それを利用して毎晩遊び歩くのは、褒められたことではない」
「いやほら。惟道だって折角大学生なんだし、ちょっとは外の付き合いってものを知ったほうがいいよ。そのうち社会に出るんだし、バイトするのはいいことだよ?」
「そう思って外に出した途端グレられたら堪らんわ」
「もぅ~。魔﨡は過保護なんだから」
「惟道が世間を知らなすぎるからじゃ。人は汚いものぞ。皆が皆、章親のようだと思うなよ」
周り全てを章親と思えと言ったり、章親のような人間がいると思うな、と言ったり、なかなか勝手な姉である。
惟道もそうだが、この姉も全ての基準が『章親』のようだ。
「確かに章親のような者はおらなんだ。となると皆同じにしか見えぬ。が、一つ習得したことがある」
もけもけのクッションを抱いてソファに沈んでいた惟道が、ようやく口を開いた。
「何か言う前に、相手が章親だとイメージしてから言うようにした。初め、そういうことを考えずにいたら、知らぬ間に人を傷付けてしまったようだし」
「そうなんだ? うーん、そのイメージの仕方が正しいのかはわかんないけど、でも相手のことを考えられるってのはいいことだよ」
「人というのは、見えぬところにも傷がつくものなのだな」
ぽつりと言ったことに、惟道の膝の上のもけもけクッションが、僅かに動いた。
「傷付く、というのは、心だそうだ。そういう不思議なことが多々あったな」
「惟道にとっては不思議なことなのかもね。でも一般的にはそういうものだよ。だから何か言うにしても、ちゃんと相手のことを考えた上で言わないとね」
章親が言うと、惟道は素直にこくんと頷いた。
「バイトをしたのも間違いじゃなかったね。ちょっとずつ社会に慣れて行けば、惟道にとっても生きやすい世界になると思うよ」
にこにこと嬉しそうに言う章親に、少しだけ惟道の表情が緩む。
リビングのヨガマットに寝転んでTVを見ている魔﨡が、ちらりと振り向いた。
「章親がそうやって、最近惟道ばかり気にするものだから、宮が拗ねておるのだぞ」
「う……。だって心配じゃない。今までバイトしたこともないしさ。ただでさえ人付き合いが苦手なんだし。その割に、周りが放っておいてくれないだろうしさぁ」
気まずそうに言いながら、章親はちらりと携帯を見た。
結構毎日彼女である宮と電話しているが、ここ二日ほど音沙汰無しだ。
今日は僕からかけよう、と思っていると、不意に画面が明るくなって電子音を響かせた。
「あっ! ……もしもし。凄いな、丁度今、僕からかけようと思ってたんだよ」
その一言だけで、電話の向こうの宮の機嫌は直るのだ。
章親が、その場しのぎで機嫌を取るような人間ではないからだ。
以前mira商社の資料室で、電話越しでもその場の誰もが章親の人柄がわかったように、章親は関わる者全てを浄化するほど清浄な空気を持っている。
人そのものの根っこが綺麗だからだ、と魔﨡は言う。
特異能力といっていい。
「やれやれ。仲が良くて結構なことじゃ」
煎餅をばりばりと齧りながら、魔﨡が目を細めて言う。
ヨガマットは単なるカーペットなのだろうか。
ちなみについ二時間ほど前に、夕飯も食べている。
「ああいう相手というのは、どうやって見つけるのであろうな」
もけもけクッションを弄びながら惟道が言うと、魔﨡は、うーん、と首を傾げ、やがて、ぽん、と手を打った。
「見つけようと思って見つけるものではないのであろ。我らが章親に惹かれるような感じを受ける者が、他に一人か二人、おるのであろうよ。そういった者は惹かれ合う運命なのじゃな」
「この世界に一人か二人か。出会える気がせぬな」
「章親のような者が、そうそうおるわけなかろう」
「それもそうだ」
何だか「それでいいのか」という会話の〆方だが、何故か二人は納得し、各々自室に引き上げた。
真砂が帰って来てから二人でご飯を食べつつ、深成が言う。
「そうだな。奴自身は特に何もしてないのに、何かやたらと引っ掻き回されたような気がする」
「周りが騒ぎすぎたんだね」
「奴の契約期間を延ばして欲しいって、清五郎のところに要請があったらしいぞ」
「ええ? 他の部署から?」
渋い顔で、真砂が頷く。
実際雇っている部署がきちんと短期で、と決めているのに、全く関係のない部署から私情での契約更新などあり得ない。
「まぁまた忙しくなったら、声をかけることもあるかもしれんがな」
「真砂のところに入るかも?」
「それはないな」
きっぱりと言う真砂に、深成はきょとんとした。
「俺にはお前がいるし」
ちょっと照れ臭く思ったが、これは『一課には深成がいる』という意味なのだろう、と解釈し、深成は夕飯の唐揚げを口に入れた。
が。
「結婚するときは、お前と入れ替わりでもいいかな」
ビールを飲みながらさらっと言われたことに、飲み込み途中だった唐揚げを詰まらせてしまう。
「けほっ! けほんっ! ちょ、真砂、何言って……」
どんどんと胸を叩いている深成を、真砂は妙な顔で見た。
「前から言ってるだろ。さすがに同じ課のまま結婚するわけにはいかんし。あいつだったら一から教えんでいいから楽ちんだ」
「そそ、それはそうかもだけど~。そ、それ以前に、惟道くんは大学生なんだから、その頃には就職しちゃってるかもしれないじゃん」
「……そんな先延ばしにする気もないがな」
惟道はまだ二年生だということだったので、あと二年あるわけだ。
真砂は二年も待たないらしい。
何となく恥ずかしく、視線を彷徨わせていた深成だが、ふと気が付いた。
結婚したところで、何か変わるだろうか。
「そか、別に結婚したからって、何も変わらないね」
一緒に住んでいるし、この家に不満はないし十分広い。
新居とか、おそらく必要ないだろう。
「毎日真砂にお弁当作ってあげられるってぐらいだよね」
にこ、と笑いかけると、真砂はちょっと邪悪な笑みを浮かべた。
「……まぁ……大きく変わるものが一つあるがな……」
「へ?」
きょとんとする深成をそのままに、真砂はビールを飲みほした。
さてその頃、惟道が身を寄せている安倍家では。
「じゃあ惟道、かなり気に入られてたんだねぇ」
章親が嬉しそうに言う。
その横で、姉の魔﨡がTVを見つつ鼻を鳴らした。
「それを利用して毎晩遊び歩くのは、褒められたことではない」
「いやほら。惟道だって折角大学生なんだし、ちょっとは外の付き合いってものを知ったほうがいいよ。そのうち社会に出るんだし、バイトするのはいいことだよ?」
「そう思って外に出した途端グレられたら堪らんわ」
「もぅ~。魔﨡は過保護なんだから」
「惟道が世間を知らなすぎるからじゃ。人は汚いものぞ。皆が皆、章親のようだと思うなよ」
周り全てを章親と思えと言ったり、章親のような人間がいると思うな、と言ったり、なかなか勝手な姉である。
惟道もそうだが、この姉も全ての基準が『章親』のようだ。
「確かに章親のような者はおらなんだ。となると皆同じにしか見えぬ。が、一つ習得したことがある」
もけもけのクッションを抱いてソファに沈んでいた惟道が、ようやく口を開いた。
「何か言う前に、相手が章親だとイメージしてから言うようにした。初め、そういうことを考えずにいたら、知らぬ間に人を傷付けてしまったようだし」
「そうなんだ? うーん、そのイメージの仕方が正しいのかはわかんないけど、でも相手のことを考えられるってのはいいことだよ」
「人というのは、見えぬところにも傷がつくものなのだな」
ぽつりと言ったことに、惟道の膝の上のもけもけクッションが、僅かに動いた。
「傷付く、というのは、心だそうだ。そういう不思議なことが多々あったな」
「惟道にとっては不思議なことなのかもね。でも一般的にはそういうものだよ。だから何か言うにしても、ちゃんと相手のことを考えた上で言わないとね」
章親が言うと、惟道は素直にこくんと頷いた。
「バイトをしたのも間違いじゃなかったね。ちょっとずつ社会に慣れて行けば、惟道にとっても生きやすい世界になると思うよ」
にこにこと嬉しそうに言う章親に、少しだけ惟道の表情が緩む。
リビングのヨガマットに寝転んでTVを見ている魔﨡が、ちらりと振り向いた。
「章親がそうやって、最近惟道ばかり気にするものだから、宮が拗ねておるのだぞ」
「う……。だって心配じゃない。今までバイトしたこともないしさ。ただでさえ人付き合いが苦手なんだし。その割に、周りが放っておいてくれないだろうしさぁ」
気まずそうに言いながら、章親はちらりと携帯を見た。
結構毎日彼女である宮と電話しているが、ここ二日ほど音沙汰無しだ。
今日は僕からかけよう、と思っていると、不意に画面が明るくなって電子音を響かせた。
「あっ! ……もしもし。凄いな、丁度今、僕からかけようと思ってたんだよ」
その一言だけで、電話の向こうの宮の機嫌は直るのだ。
章親が、その場しのぎで機嫌を取るような人間ではないからだ。
以前mira商社の資料室で、電話越しでもその場の誰もが章親の人柄がわかったように、章親は関わる者全てを浄化するほど清浄な空気を持っている。
人そのものの根っこが綺麗だからだ、と魔﨡は言う。
特異能力といっていい。
「やれやれ。仲が良くて結構なことじゃ」
煎餅をばりばりと齧りながら、魔﨡が目を細めて言う。
ヨガマットは単なるカーペットなのだろうか。
ちなみについ二時間ほど前に、夕飯も食べている。
「ああいう相手というのは、どうやって見つけるのであろうな」
もけもけクッションを弄びながら惟道が言うと、魔﨡は、うーん、と首を傾げ、やがて、ぽん、と手を打った。
「見つけようと思って見つけるものではないのであろ。我らが章親に惹かれるような感じを受ける者が、他に一人か二人、おるのであろうよ。そういった者は惹かれ合う運命なのじゃな」
「この世界に一人か二人か。出会える気がせぬな」
「章親のような者が、そうそうおるわけなかろう」
「それもそうだ」
何だか「それでいいのか」という会話の〆方だが、何故か二人は納得し、各々自室に引き上げた。