小咄
「魔﨡が傍に来ると、皆が委縮して隠れてしまう」

「当たり前じゃろ。我をなめたら痛い目に遭うぞ」

 しれっと言いつつ、魔﨡は惟道の膝の上のもけもけクッションを、むんずと鷲掴みにした。
 もけもけクッションが、若干慌てたように左右に揺れる。

「気を遣わずに遊べ遊べと纏わりついてくるのは、こ奴ぐらいじゃ」

 ぽーん、とクッションを投げ上げ、錫杖の先でくるくる回す。
 槍の穂先のような錫杖の先端なので、もけもけクッションは突き刺さらないよう必死だ。

「おぬし、何故バイトなどする気になったのじゃ?」

 不意に魔﨡が惟道に問うた。

「いい加減、己で稼ぐことも考えねば。子供ではないのだから、いつまでも無償で厄介になっているわけにはいかん」

「ほ。そんなことを考えておったのか。そんなこと言うと、章親が悲しむぞ」

「悲しむ? 俺が己で稼ぐと、章親が悲しいのか? でもバイトを勧めたのは章親ぞ」

「そうではない。バイトすること自体は賛成であろうよ。そんなことよりも、先のお前の、無償で厄介になっている、という考えがいかん」

「……その通りではないか。この家の者であれば気にしないことであろうが、俺は他人だ」

 惟道が言った途端、ぶん、と錫杖が風を切った。
 先に引っかかっていたもけもけクッションが、勢いに負けて吹っ飛び、惟道の顔に、ばす、とぶち当たった。

「章親はそう思っておらぬ。おぬしを本当の弟のように可愛がっておるに、おぬしがそんな態度であると悲しむであろうが。章親の優しさを踏みにじることになるぞ」

「そんなこと、するわけなかろう」

「お前にその気がなくても、そんな態度であれば、そう取られるのがオチじゃ。章親を悲しませるなぞ、許されることだと思うか?」

「思わぬ」

 即答し、うむむ、と惟道は思案顔になる。
 章親が絡むと、驚くほど素直である。

「しかしバイトを紹介されたとき、確かに昼飯代ぐらいは自分で稼がねば、と納得したものだが。章親もそう思っての賛成だったのではないか?」

「阿呆。あの優しい章親が、昼飯代ぐらい自分で稼げとか言うわけなかろう。お前の世間知らずっぷりを懸念してのことじゃ」

 決して人のことは言えないのだが、魔﨡は鼻息荒く惟道を見据える。

「今の浮世離れっぷりのまま、我の会社に入られたら、うっかり我に迷惑がかかるからじゃろがっ」

「……では章親は、魔﨡のことを思ってバイトを勧めたというのか?」

「そうじゃ」

 えへん、と魔﨡が胸を張る。
 少し、惟道の目が細まった。

「章親は、俺の将来のためにもいい、と言ったぞ」

「お前の将来というのは、すなわち我の会社に入ったときのことじゃろがっ」

「外で働いてみることで、他の道が拓けるかもしれないし、と言っていた。章親は、別に魔﨡の会社に入ることが絶対ではないと言っていたぞ。ということは、純粋に俺のためだ」

 むむむ、と二人が睨み合う。
 惟道がむきになるなど珍しい。

「ちょっとちょっと、何言ってるの。皆が怯えちゃったら可哀想でしょ」

 不穏な空気に気付いた章親が、慌てて和室に駆け込んでくる。

「章親、こ奴にバイトを許したのは、我の会社に入ったときに迷惑をかけないためであろ?」

「そんなこととは関係なく、単に俺のためだろう?」

 二人が同時に章親に顔を向ける。
 思わず章親は後ずさった。

「い、いやいや。えっと、どっちもだよ。単に惟道の世界をもうちょっと広げたほうがいいとも思ったし。うん、そうなると自ずと魔﨡の会社に入ったときにも役に立つでしょ」

「ほれ見ろ。俺のためだ」

「何を言うか。その先には我のことも考えておる」

 またも両者睨み合いが続く。
 そこに宮が、呆れたように割って入った。

「あのねぇ、あんたたちは家族なんだから、どっちのこともちゃんと想ってるって。まぁそれ以上に想われてるのは私だけどね」

 ふふん、と勝ち誇ったように笑う。

「ちょ、ちょっと宮」

 真っ赤になった章親が、宮を制するように両手を上げる。
 が、そんな章親を、宮は三角の目で睨む。

「何よ、違うの?」

「う、いや、その……」

「私は他人だけど、彼女なんだから一番でしょ?」

「う、うん、それはもちろんだよ」

 とにかく章親は宮を黙らそうと、ぐいぐいと縁側の二人から遠ざける。
 その様子を眺め、惟道はぼそ、と口を開く。

「まぁ確かに、章親が一番好きなのは宮なのであろうな」

「それはそうじゃ。章親の幸せは、宮によるところが大きいしの。章親が幸せでなければ、我らもつまらぬ」

 うむ、と二人して納得する。
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