小咄
「何やってるんだ。お前、風呂はいいのか?」

 相変わらず冷めた目で言う真砂に、深成はまたも、ぎ、と目を向けた。

「課長はいいかもしれないけどっ! わらわは女の子なんだから! お化粧だってあるし」

「化粧? お前、化粧なんてしてるのか?」

「失礼な! 社会人なんだから、当たり前でしょっ」

「へぇ? とりあえず、そのヨダレの跡を洗ってこい」

「!!」

 ばっと口元を手で覆い、深成は、ばびゅん、と風呂場に飛び込んだ。
 深成が浴室で顔を洗っている間、真砂は、くくくく、と身体を折って笑っていた。

「別にヨダレなんて、垂れてないじゃん!!」

 深成がぷんすかと怒りながら出てくる。

「気づかなかっただけだろ。どっちにしろ、起きたら顔ぐらい洗え」

「だから! 女の子は、おいそれと顔も洗えないんだって! お化粧落ちちゃうじゃん」

 じ、と真砂は深成を見た。

「どっか変わったのか? 顔を洗ったって、さっきと変わらんぞ。だったら化粧するだけ無駄だろうが」

「そりゃ、そんな顔が変わるほどのお化粧はしてないけどっ。ちょっとは努力も認めてよね!」

「そういうのは、無駄な努力と言うんだ」

 ぷーっとフグのように膨れる深成をさらっと無視し、真砂は顎で風呂場を指す。

「風呂に入るなら、とっとと入れ」

「だって無理じゃん」

「? 何故だ」

「何でって、脱衣所ないのに」

 ちょっと赤くなって言う深成に、真砂は彼女をじろじろと見た。
 いかにも意外な言葉を聞いたように言う。

「前に、俺はお前が目の前で全裸になっても、何とも思わんと言ったはずだが」

「だからといって、本気に出来るわけないでしょーーがっ!!」

 ぎゃーすか喚く深成に頷きながら、真砂は上着を掴む。

「まぁ、確かにそれで安心されても、それはそれでお前の頭を本気で疑う」

 そして腕時計に目を落とし、荷物を持った。

「お前の家はどこなんだ? 今から帰って、九時に出社できるのか?」

 はた、と我に返り、慌てて深成は荷物をまとめた。
 といっても大したものはない。

 服はそのままだし、上着を着るだけだ。
 そういえば、上着は真砂が脱がしてくれたのだろうか。

「九度山町のほう。ハイツ九度山306号室」

「そこまで具体的に聞いてない」

 ばさりと切り、真砂はとっとと部屋を出た。
 こういうところのシステムはわからない。
 はぐれないよう、深成は真砂にくっついていった。
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