小咄
 捨吉とあきが、ひそひそとあらぬ方向を見ながら話していると、前からゆいが、ロックグラスを揺らしながら、顔を突き出してきた。

「ちょっとぉ。何二人で内緒話してんのよぅ。あきぃ、あんたは捨吉くんと同じ課なんだから、遠慮しなさいっての!」

「あ、ごめんごめん。あたし、トイレ行ってくる」

 そそくさと席を立ち、あきは足早にトイレに向かった。
 トイレは店の奥。
 カウンターバーの横を通る。

 あきはバーエリアに近づくにつれて、知らず足音を消した。
 そして、そろりそろりと端の席に近づいていく。
 さすがにあまりに近づくのは憚られ、ちょっと離れたところから、あきは全神経を耳に集中した。

「そうか。さすがのお千代さんも戸惑ったかい」

「ええ、もうびっくりですわ。私ともあろうものが、初めはなかなか馴染めなくて。あんなに仕事がはかどらないなんて、考えられないことでした」

「でも、あそこに研修に行かされるのは、上司に目をかけられた証拠だぜ。ほんとに出来ない奴なんかやったら、うちの会社の恥になるし、何よりあそこじゃ、やっていけないしな」

 まぁ、と千代の顔が輝く。
 『上司に目をかけられた』ということは、『真砂に目をかけられた』ということだからだ。

「そうですわね。頑張りますわ」

 嬉しそうに微笑み、千代はグラスを傾ける。
 その仕草に、店内に飾ってある観葉植物の陰から二人を覗き見ていたあきは、息を呑んだ。
 そして次の瞬間には、普段のあきからは想像できない俊敏さで、すさささっと反対側の壁の陰に移動する。

---やっぱり千代姐さんは凄い。カウンターに座ってるだけでも絵になるのに、あんな微笑み向けられたら、男なんてイチコロだわっ! ここは是非とも、清五郎課長がどんな反応するのか確かめなきゃ!!---

 最早トイレに行くことなど、すっかり忘れている。
 元々席を立ったのは口実だったのだ。
 酒癖の悪いゆいから逃れるために、席を立っただけ。
 捨吉を生贄にした、とも言える。

 千代側の壁に移動し、わくわくしながら、そろりと顔を出したあきだったが、場所的にさっきより近くなってしまった。
 案の定、清五郎とばっちり目が合ってしまう。
 あ、と口を開けたあきに、清五郎は少し驚いたような顔をしたが、すぐに笑って手を振った。

「何だ、あきちゃんも飲み会か?」

「あ……はい」

 声をかけられてしまえば、無視することもできない。
 すごすごと、あきは二人に歩み寄った。

「千代姐さん、お久しぶりです」

 ぺこりと頭を下げるあきに、千代はちょっと引き攣った笑みを返した。
 清五郎とのデート現場を、真砂と同じ課の人間に見られたのが気になるのだろう。
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