【短編】遺り火
サナエは庭下駄を履くと、義父が丹精していたしだれ桜の木の下に小さな穴を掘り始めた。


義父宛の手紙に火をつけると思わぬ大きさで火があがる。


まるで生きているもののように、身もだえしながら手紙は燃えていく。


燃え上がる炎を見ながら、 サナエは夕べのシュンとの逢瀬を思い出していた。


家に招いた夫の部下のシュンから酒の勢いで告白されたのは一年前のことであった。


「一度だけ二人きりで会って下さい」


耳に囁きかけられた時に何故すぐに断らなかったのだろう。


心の奥に灯けられた火がそのまま身体に乗り移ったように、ゆらゆらと・・・気が付いたら頷いてしまっていたのだった。


一年がたった今も、シュンとは食事をするだけの関係で、それ以上のことは何もなかった。


それが、シュンにとってどれだけ残酷なことかは、解ってはいたが。


大学時代の友人に会いに行くというサナエの言葉を夫も義母も微塵も疑いはしていない。


不貞を働いたと言う気持ちにはならなかったが、やはり後ろめたさはどこかにある。


別れ際のシュンの「愛しています」という言葉が耳に残っている。

返事はしなかった。


夫婦といえども、互いの心のどれだけが見通せているというのだろうか?


知らなければそれで幸せに時がすすむこともあるのだとサナエは思う。


ときめきとは言えないかもしれないが、サナエは夫を愛している。


一緒に過ごした年月は「恋」を「情」という名に変えて、居心地の良さを与えてくれる。


私の居場所はここより他にないのだとサナエは思う。


「今度、会うときに、何て伝えよう・・・」


まだ、余火の残っている手紙に土を被せながら、サナエはシュンに伝える言葉を考えていた。


おわり
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