地の棺(完)
彼は何をしているのか。

何故わたしを見て笑ったのか。


目が取り込んだ情報を、脳が処理できない。

顔中に血液が集まり、耳がキーーンとする。

心臓は早鐘を打ち、手足は鎖で拘束されたかのように動かせなかった。


ここにいてはいけないと思うのに、初ちゃんから目を逸らせない。

深淵の瞳に、わたしの意思は飲み込まれてしまう。


どうしよう。

どうしたら……





「森山さん? なにをされてるんですか?」


背後からかかる男性の声。

そこでようやく、わたしは体の自由を取り戻した。

振り向くと、そこには不思議そうにわたしを見つめる神原さんが立っていた。


「神原さん」


「その部屋になにかありましたか?」


「あ、いや、あの……」


なんて答えたらいいかわからない。

俯くわたしの左肩に、ずしっとした重みを感じた。

驚き、顔をあげると、わたしの肩に初ちゃんの左手が置かれている。


「神原セ・ン・セ」


「ああ、初君。君がここに?」 


わたしは慌てて初ちゃんの手を払い、神原さんの隣に移動した。

初ちゃんは一瞬バランスを崩したが、すぐに立て直し、障子戸にもたれかかる。

白い着物を、赤く細い紐で簡単に留めただけの姿。

思わずドキッとしたが、神原さんは慣れているのか動じない。


「神原先生?
先生がそこにいらっしゃるの?」


すると、初ちゃんの後ろにいた人物が、声を上げ、立ち上がった。

薄紅色地に、白い花が描かれた着物を羽織った女性。

初めて見る顔だった。
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