とにかく毎日呟くという二月の挑戦。〜言ってみよう!やってみよう!〜
28日。くぅっ!3/1になっちゃった!
【2月28日金曜日】
まど みちおさんが亡くなった。
「ぞうさん」「一年生になったら」「やぎさんゆうびん」。彼の詩は多くの人に歌い継がれ、その血肉となっている。104歳。
わたしも、あなたの紡いだ言葉たちに養われてきました。お世話になり、ありがとうございました。
それから、さっき入ってきたばかりのニュース。
人形浄瑠璃(文楽)の語りで人間国宝の竹本住大夫さんも、現役引退を表明とのこと。89歳。大阪市が補助金を打ち切ると言い出した際は、どれほど誇りを傷つけられ心を痛めたことでしょう。想像もつかない。心労からでしょうか、その年の7月に脳梗塞に倒れながらも、去年1月に舞台に復帰。
わたしは文楽に詳しいわけでは全くないけれど、人間国宝と呼ばれるまで語りの技を極めた御大に敬意を払わないわけにいかない。謹んで、お疲れ様でしたと申し上げたい。
書道の「全日展」主催側会長が全国知事賞の受賞作品を捏造していたことが発覚した。
私の父も書をやるが、日展やその他の展覧会ではこうしたことが日常茶飯事なのだとか。どこの会派にも属さずにいた父は、そういうわけで日展には出品せずにずっと書き続けていた。そしてずいぶん前の話になるが、毎日展などで大きな賞を頂いた。
今年、日展の入賞作品があらかじめ会派ごとに割り当てられていた(会派に属していないと入賞できない)、という問題がようやく世間に明らかになった。これまで父の言っていたことの重大さを、わたしはようやく知ることになる。「日展はいろんな制約があって難しいんだ、だからお父さんは(作品を)出さないんだ。」と。そんなの、日展に挑戦する勇気のない、負け惜しみだとすら思っていた。ごめんなさい、お父さん。あなたは正しいことを言っていた。あなたは立派だった。いまは孤高だとすら思う。
現在はああいった書展の選考委員をしている。どこの会派にも属さずに書道界に挑戦し続けて、いまの地位にいる。そんな父を誇りに思う。
2月末日の記録。
「言葉」というものに真摯に向き合い、紡ぐこと、語ること、表現方法は違えどそれぞれに格闘し続けたおふたりの方がその役目を終えられた。高みを極めた方々と思う。やなせたかしさんも昨年亡くなられた。こうしてゆるやかにひとつの時代が終わっていくんだなぁ。
反して、芸術の中でも「言葉、とりわけ文字そのもの」を深く追求する分野で、人々の努力を水泡に帰すような乱暴な行為が明るみに出た。
どちらも、きょうの出来事。
どちらも、きょうの日本の現実。
日本語を用いて表現する行為の、環境の現在。
この作品はきょうでおしまいです。
急に思い立ったにも関わらず、ここを見つけ門を叩いてくださった皆様、ご自分のエッセイで大切な紙面を割いて紹介してくださった方々、意見の分かれる日も、気分を害された回もあったでしょうに、気にかけて更新を追いかけてくださっていたすべての皆様、どうもありがとうございました。
この2014年2月という時期は、個人的に抑圧された思いがぱんぱんに膨らんでいた時だったのかもしれません。普段、自分がなにか発言しようとしても、その影響の及ぶ範囲を考えるとなかなか正直には言えないものですから。メディアの自主規制について厳しく批判してきましたが、まず何より公に規制に縛られていたのは私自身かもしれません。
だからここで、思う存分発散させていただきました。
明日から3月。
お陰様で、書く、ということのリハビリも出来たので、来月は未完成の物語の続きを書いていこうと思っています。
こういったエッセイは、東雲庵に戻るかもしれませんし、あたらしく場所を作るかもしれません。ゆっくり考えて、決めますね。お、こいつ気が合いそうだな、と思ったら気軽にお付き合いください。
みなさま、今日までありがとうございました。
2月最後の日に。
2014.2.28 23:59←どうしても主張したかったらしい(笑)